日本史
高校生
解決済み

異国警護番役は、文永の役のあとに設置されたものですか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

違います。これはセンターでもよくでる
ひっかけです。異国警護番役は文永の役の前に設置されていました。元が来てやばい!またくるぞ!ってなって、再来に備えるために、強化したんです。設置じゃなくて強化したんです。これは模試によくでます

ゲスト

回答ありがとうございます!
では、1回目の文永の役までにすでに設置されていた、ということですね!
あ、あと石塁は文永の役のあとであってますか?汗

焼きおにぎり

石塁……合ってますよ!

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回答

異国警固番役の原形ができあがっていたのは1271年、強化(制度化)したのが、文永の役後の1275年です。

1271年、西国(特に九州)に所領を持つ東国御家人に肥前・筑前の警固するよう命じ、東国御家人が着任するまで、防備を九州の御家人に交代で沿岸警備にあたるよう命じました。これが異国警固番役の始まりです。
そして文永の役後、原形ができあがっていた異国警固番役を、九州の9ヶ国が、2・3か国で4つの番をつくり、3か月ごとに警固する体制を確立した(制度化)しました。

ゲスト

詳しく本当にありがとうございます!
センターまでに質問して良かったです!

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