歴史
中学生
解決済み

自分で書いた日本語がよくわからないので、「→明治政府の担い手・武士でしかも藩閥政治」以降の説明をお願いします。

N アァ エク 光 2 メックンクコ り , みろ ノシング の ノーグ*

回答

✨ ベストアンサー ✨

明治政府の担い手になったのは、薩摩藩や長州といった一部の藩にいた武士たちでした。そうした勢力を藩閥と呼びます。

藩閥は自分の権力を手放したくないので、民衆や藩閥以外の武士が関わるのを拒否しました。

藩閥以外の武士は権力を握れないので、反乱を起こしました。民衆は自分たちが政治に関われないのはおかしいと言って、自由民権運動につながりました。

という内容だと思います。

svt1122

ありがとうございます🙇‍♀️🙇‍♀️

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回答

 多分ですが、英仏などは裕福な市民層がいたため市民が君主の権限を制限したり、奪ったりする市民革命がおこり、必然的に市民に政治参加の機会がありました。

 一方、日本の明治維新はもともと力を持っていた武士階級の人々による革命で、明治政府の担い手は明治維新で活躍した薩摩、長州の藩閥中心でした。

 だから、結局明治政府は限られた層が権力を握るようになり(藩閥政治)民衆や藩閥以外の人の政治参加ができなかった為に自由民権運動が起こった。

というようなことでしょうか😅

svt1122

ありがとうございます!🙇‍♀️

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