このノートについて

日本史の平安時代(前期)のノートです。
(平安遷都・初期の政治改革・藤原氏北家・摂関政治)
教科書は山川出版社の「詳説日本史B」、図表と資料は浜島書店の「新詳日本史」です。
(※この範囲はプリントで授業を受けたので、ノートをまとめていません!すいません!)
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このノートに関連する質問
高校生
日本史B
教えてください🙇♀️
高校生
日本史B
藤原道長が藤原( )一族内の争いにも勝利したってあるのですが、北家で合ってますか?
高校生
日本史B
すみません!大至急です!! これの答えを教えてください🙇🏻♀️
高校生
日本史B
伊勢平氏は平将門を討った貞盛の子である維衡の子孫だと思うんですけど、平忠常はこの伊勢平氏の一族と違うのですか?
高校生
日本史B
平安時代の荘園公領体制についてです。目代、在庁官人の関係がいまいち分かりません。⬇️で合ってますか?
高校生
日本史B
国郡里から郡郷保になった理由を教えて欲しいですお願いします🙇🏻
高校生
日本史B
高3の日本史です aは解けましたが、他がわからないです わかる方いたら教えてほしいです😿
高校生
日本史B
この3つが全然思いつかないです 何が分かりますか
高校生
日本史B
この後三条天皇の話から延久の荘園整理令から最後まで全く理解できなくてわかりやすく教えてくださる方がいるとありがたいです。 今週定期テストなんですけど流れや理解できないと暗記できなくてすいません🙇🏼♂️
高校生
日本史B
論述(200〜250字程度)の練習をしています。 「源平の争乱(治承・寿永の乱)について」なのですが、添削していただきたいです。 足りない要素、あるいは削ったほうが良い要素があれば教えてください🙇♀️ 源平の争乱は、平安時代末期におこった源氏と平氏の内戦である。 平清盛が政権を握ると以仁王と源頼政が挙兵し、以仁王の令旨が諸国の武士に伝えられた。平氏は都を福原に移したが、大寺院や貴族からの反対を受けすぐに都を京都に戻した。その後、清整の死や飢饉などで平氏は弱体化し、源義仲に敗北すると安徳天皇を奉じて都落ちした。 1180年に源頼朝が挙兵し、一の谷の戦い、屋島の戦いを経て、壇の浦の戦いで平氏を滅ぼした。源頼朝は鎌倉幕府を開き、武士の時代が始まることとなる。
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