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②摂関政治と文化の国風文化
D
平安時代になると、藤原氏が勢力をのばし、摂政や
関白に就いて政治の実権をにぎった。このような政
治を摂関政治という。→摂関政治は、藤原道長と子
の頼道の時代に全盛期をむかえた。
○平安時代の半ば、日本の風土や生活、日本人の感情
に合った国風文化が生み出された。
○漢字を変形させた仮名文字が作られ、紀買えらの
「古今和歌集」などの文学作品が生まれた。
・紫式武の「源氏物語」 清少納言の「枕草子」など、
女性による文学作品が生まれた。
・10世紀半ば、極楽浄土へ生まれ変わることを願う
浄土信仰が広まり、宇治に平等院鳳凰堂が建てられ
た。
~中世の日本~
<武士の成長と鎌倉幕府>
①武士の成長
○10世紀、武官や豪族たちの中から武士がおこり、
家来をまとめて武士団を作った。
・北関東の平将門や瀬戸内海地方の藤原純友が、朝廷
に不満を持ち、反乱を起こした。
・源氏は東に勢力を広げ、平氏は西に、奥州藤原氏は
平泉に勢力を広げていった。
②武士の政権の成立
○白河天皇は、位をゆずって上皇になった後も政治を
行う、院政を始めた。その後、保元の乱と平治の乱
11勝利した平清盛が勢力を強めた。
Nakabayashi

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武士として初めて太政大臣になった平清盛は、兵庫
の港を整備し、中国の宋との貿易を進めた。
○平氏に不満を持つ武士が兵を挙げた。中心となった
源頼朝は、弟の源義経を壇ノ浦に送り、平氏をぼろ
ぼした。
③鎌倉幕府の成立と執権政治
源頼朝は、国ごとに守護、荘園や公領ごとに地頭を
置いた。
・鎌倉に幕府を開かれ、御家人は御恩と奉公で結ばれ
た。
○頼朝の死後、北条氏が執権に就いて実権をにぎった。
○1221年、後鳥羽上皇が倒幕のために承久の乱を
起こしたが敗れた。→幕府は京都に六波羅探題を置
いて朝廷を監視した。
○1232年、北条泰時が御成敗式目を定め、評定で
の基準を示した。
<武士と民衆の生活と鎌倉文化>
①武士と民衆の生活
°
・荘園や公領の地頭に任命された武士は、土地や農民
を勝手に支配することが多く、領主との間で争いが
たびたび起こった。→土地に対する地頭の支配が強
まっていた。
○武士は武芸によって心身をきたえ、「弓馬の道」や
「武士(もののふ)の道」などと呼ばれる武士らしい心構
えが育った。
牛馬を利用した耕作や、同じ土地で米と表を交互に
作る二毛作が行われるようになった。
Nakatayashi

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