✨ 最佳解答 ✨
倫理は勉強したことがないしどんな学問かも詳しくは分からないので倫理っぽくないことになってしまうと思いますが、私の考える生と死についてなるべく詳しく書きますね。
まず、わたしは人間が死を恐れ始めたのは、人間が「死ぬ」という言葉を作った時からだと思います。人間って言葉を使って思考する生き物です。たとえば、明日の予定を考える時に、情景をイメージするのではなく言葉で「ご飯たべて、学校行って、学校に行ったらレポート出して...」などというように。
つまり動物は「死」を恐れないと思うんですよね。というか、「生と死」の境界線を意識せずに毎日生きてそしていつかは死んでいくのだと思います。
そうすると、生きることも死ぬこともそれは人間の意識の中にあるもので、動物にはないようなものだと思います。
確かに、身体の生命活動が無くなったら死んでいる、とみんな思いますが、脳死の人は死んでいるのか生きているのか判断しにくいですよね。
生と死には絶対的な境界があるわけでも定義があるわけでもないと思います。「生きている」「死んでいる」というのはそういうふうに私たちが意識しているだけだと思うんです。
動物たちは死体を見た時に「どうして動かないんだろう?」「眠っているのかな?」と思うだけで、「死」という感覚はないと思います。
上手くまとまっていませんが、人によってその状態を「生きている」と見るか、それとも「死んでいる」と見るのかは自由だと思います。あなたが死んでいると思うならその生き物は死んでいるし、生きていると思うのならその生き物は生きているんです。
「生きるとはなにか」
ということの回答ですと、
水を飲み ものを食べ 外を歩き 誰かと話し 息を吸い 出来事に嬉しくなったり悲しくなったりし...
つまり日々の生活を過ごしていくことだと思います。
脳死の人ってものを食べたり 飲んだりは出来ないし、呼吸を自分の意思でしているのかは分からないけれども、どちらかと言えば私は死んでいる側に入ると思います。再び目を覚ます可能性もあれば覚まさない可能性もあるのですが、脳死でいるあいだは生きてはいないと思うんですね。
自分が生きていることを実感出来るということが生きているということだと思います。
ひびき-히비키さん
人が『死ぬ』という言葉を作ったから
人は死を恐れ始めた。『死ぬ』という言葉を
作らなければ 人は死を恐れなかった。
わかる気がします。
生と死の境界線がないという考え方
わたしにはなかったです。
意識してるから あるんだっていうの
勉強になりました。
私の考え方で変わる というの
嬉しかったです。
優しいお言葉
ありがとうございます。
わたしがいきたくないと
思っているからだと思っていました。
(*´ `*)ィェィェ♪
あくまで私の意見ですが、参考になったのであれば嬉しいです😶
あなたが答えられなかったのは、あなたがいきたくないと思っているからではないと思いますよ。
「究極の選択を迫られた」とは少し違いますが、あれこれ考えたけれども答えが見つからなかっただけです。決められなかっただけですよ。