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封建制は王が地方の統治を諸侯に任せ、諸侯に一定の権限を与えます。
もちろん王が立場上、上ですが諸侯に一定の権限を認めている以上、王が絶対有利という訳ではありません。
そこで、朝廷(王ここでは漢の皇帝)は諸侯の力を減らして自らの権限を大きくしようとしました。それに対し危機感を覚えた諸侯は呉楚七国の乱を起こし抵抗します。
反乱を鎮圧した朝廷は諸侯の廃して、郡県制(皇帝が任命した人物に地方の政治を任せる)に移行できたので、中央集権体制(中央の権限が強い体制)に
めちゃくちゃわかりやすい😭
ありがとうございます!!
ここからは余計な話ですが
王様だって1から国を作る場合は大変です。親戚や部下などと協力して戦い国を作っていく訳です。
当然活躍した親戚や部下は諸侯にして、褒美として土地をあげたり一定の権限を認めなければなりません。
「もう国ができたからお前らは用済みじゃい」とは言えないですよね笑
しかーし、王様と部下たちが固い絆で結ばれたズッ友ならいいんですが人間そうも行きません。
特に子供や孫の代になると「親父同士はいっしょに国を作った友達かもしれんけど、俺らはそんなに仲良くねぇし」となったりします。
はっきりいってそうなってくると王にとって地方で権限を持ってる諸侯は邪魔ですし、諸侯からすれば自分の持ってる権限を簡単には王様にあげたくありません。
そういった微妙な力関係に悩まされる国は歴史上多く中央集権制って以外と作るのが大変なんです笑
できたわけです!