potentialの訳し方はまずは画像を参照してください。
単語帳とかで訳を覚えるときに
形容詞で 〜的だ とか
それの名詞で 〜性 っていう表現が多すぎるんです。
だからその訳をそのまま使うと
漢字だらけになって、なおさら意味がわかんなくなることが結構あるんですよ。
中国語を読んでるみたいになってしまう。
日本語としておかしくなければ良いとは思うんです。
今回のご質問くらいの文なら、不適切とか誤りとまでは思わないですね。
訳の日本語を推敲するにときには
その日本語から英語の文を書くことを考えると良いと思います。つまり和文英訳です。
日本語を読んで、「こんなことが言いたいんだろうな」と理解して、それを英文に直しますよね。
自分の訳を読んだときに、
何が言いたいのかスムーズにわかりますか?
「潜在的教師」ってことは、潜在的に教師なんだから
将来教師になるのかな?というような
勘違いはしませんかね。流石にそれはないか。
でも日本語の「〜的」とか「〜性」は安易に使いすぎるので、そういう誤解に繋がりやすいです。
日本語だけをパッと読んだときに誤解が生じそうなら、その訳は避けた方がいいですね。
だから
「〜的 とか 〜性 ってどういうことなんだろう?
他の日本語に言い換えられないかな」
という発想を持っておくと良いと思います。
そして英語の場合、その「言い換え」は勝手な想像じゃなくてある程度根拠をとりながら行うことができます。
実際にやってみます。
a potential teacher,
someone we can learn something from
の部分は、同格のカンマがあって前後が同じものを表してるとわかると思います。
ってことは、カンマの後ろを訳せれば
カンマの前の"teacher"は
いわゆる「(学校とかの)教師・先生」というよりは
teachにerを付けた
「teachする人、教えてくれる人」
の意味で言ってるとわかります。
teachは他動詞で、使い方によっては目的語を2つ取ります。今回の"teach-er"も
誰に教えるのか・何を教えるのかを考えてみると
カンマの後ろの
someone we can learn something fromの
someoneがteacherのことなんだから
「誰に」はweのこと =「我々に」「自分たちに」ですよね。
「何を」はsomething と言ってて、何か特定のものがあるわけじゃない
だから、学校の先生とかじゃなくて
我々に何か(何かは明確じゃないけど)を教えてくれる人
一緒にいて学びのある人
のことを teacherと言ってるとわかるわけです。
potentialは
「潜在的」(日本語だと「顕在的」の反対)とすると
潜んでるか・表に出てるか だけの違いのように
思ってしまいがちだけど
実際は、
カタカナ語の「ポテンシャル」が英語の感覚に近くて
「可能性」の意味なのです。
「可能性」も「〜性」がついてますけど、
「そうであり得ること」ということです。
だから
a potential teacherを
「〜的」とか「〜性」を使わずに訳すなら
「私たちに教えを与えてくれることがありえる人」
とすると思います。
まぁ「可能性」くらいは使っても良いよね
「私たちに教えを与えてくれる可能性がある人」
繰り返しになりますが
今回の質問者さんの訳は、通じないこともないと思うので、別に良いかなと思いますよ。
模範解答?が、「潜在的」が不適切というのなら
「教師」もかなり不適切だろうと思います。
だって「教師」って日本語は「何かしらの学校の先生(という職業)」にしか使わないでしょう?
だから適切/不適切 の判断基準がブレててよくわからないと感じます。