✨ คำตอบที่ดีที่สุด ✨
少しズレがあるようなので、噛み砕いて説明しますね。
まず、第一次世界大戦で、ロシア国民は疲弊していました。戦争のせいで食糧も不足しており、「戦争なんて止めてくれ!」って大多数の人が思ってました。
そのため、戦争賛成の立場をとっている国トップのニコライ2世を労働者たちが退位させます。
→二月革命
そしたら、皇帝がいない共和政になりました。すると、臨時政府として立憲民主党が台頭します。しかし、立憲民主党は戦争継続方針をとったのです、、
→もう少し戦争を頑張れば、賠償金貰えるから!って考えていたのです。
とはいえ、大多数は戦争をやめてほしいと思っているのに、真逆の行動です。そのため、戦争反対を呼びかける「ソヴィエト」が成立します。ソヴィエトの中心はメンシェヴィキや社会革命党です。
つまり、二月革命後は
臨時政府(立憲民主党)とソヴィエト(メンシェヴィキ、社会革命党)とが並行する二重権力状態となりました。
その後、レーニン(ボリシェヴィキ)が「四月テーゼ」で「すべての権力をソヴィエトに」と主張して、ソヴィエトを後押しします。
長くなるので一旦ここまでにしときます🙏
分からないところ、続きが知りたければ言ってください🙏
まず、政党をおさらいしときますね。
1立憲民主党 2社会革命党 3メンシェヴィキ 4ボリシェヴィキ
このうち、2〜3は社会主義政党で、数字が大きくなるにつれて、より即時停戦を呼びかけます。
では、続きになります。
「四月テーゼ」に対して、臨時政府は弾圧を加えます。そして、レーニン(ボリシェヴィキ)は亡命することになります。
このとき、臨時政府は社会革命党のケレンスキーでした。臨時政府の政党が変わり、少しずつ停戦に傾いていってますね。
しかし、ケレンスキーも「戦争をもう少し頑張ろ!」の人でした。また、メンシェヴィキも同様でした。
よって、もう人々の希望はボリシェヴィキにしかありません。多くの労働者がボリシェヴィキを支持し始めます。
そこで、民衆を味方につけたボリシェヴィキは、ボリシェヴィキ武装蜂起により臨時政府を打倒し、十月革命を起こします。
その後、レーニンは数々の政策を行い、その中で即時停戦も成し遂げます。
ちなみに、ブレスト=リトフスク条約の締結が即時停戦のそれです。
またまた長くなりました、、すみません🙇♂️
このような感じです🙏
頭にすっと入りやすい文で助かります💦分かりやすく丁寧な解説本当にありがとうございました🙇‼️
すごく分かりやすく助かります💦🥺我儘で申し訳ないのですが良ければ続きも教えてもらえませんか……?