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そうですね🙆♂️
知っている内容かもしれませんが、ついでに周辺知識をまとめておきます。
19世紀前半はウィーン体制下であり、フランス革命で崩れた国際秩序を話し合ってます。その中、フランス革命で動揺していたヨーロッパを見てチャンスだと思い、南アメリカの国々はクリオーリョ(サン=マルティンetc)によって独立します。ちなみに、南アフリカは主にスペインによって支配されていました。
しかし、この動きをウィーン会議の主催者であるメッテルニヒは弾圧しようとします。そしたら、モンロー教書が出されました。相互不干渉!と唱えます。イギリスのカニングもこの考え方に賛同し、相互不干渉が決まります。
その後、アメリカ合衆国内では、南北戦争を経て統一されます。すると、外国が攻めてこないことを良いことに、アメリカは南アメリカ大陸を狙いに行きます。
まず、米西戦争でスペインを倒した後、セオドア=ローズベルトは棍棒外交という強硬外交を行います。この外交は国際的非難から、その後、宣教師外交→善隣外交へと移って行きます。
余計なところまですみません🙏🙏