全体を理解するには対仏大同盟が結成された理由から理解する必要があります。
フランス革命による共和政の成立は王政を敷いている欧州各国にとって不都合なものでした。ルイ16世の処刑に危機感を抱いた欧州各国はフランスから共和政を廃止してフランスに王政を復活させようと第一次対仏大同盟を結成します。(第一次対仏大同盟vsフランス革命政権)
しかしながら、第一次対仏大同盟はフランス革命政権に陸戦で敗北を喫します。結果として欧州大陸諸国はとフランス革命政権と停戦することを余儀なくされ、第一次対仏大同盟は崩壊します。この時、唯一大陸国でなかったイギリスはフランス革命政権とは停戦せず、戦争を継続しました。(イギリスvsフランス革命政権)
陸戦では強力なフランス軍ですが、海軍ではイギリスには及びません。軍の司令官だったナポレオンは海の向こう側にあって手出ししにくいイギリスを牽制しようと考えました。当時、イギリスは重要な植民地であるインドとの連絡をエジプト経由で取っていたため、エジプトを奪うことはイギリス本国とインド植民地、さらにインドと地中海の結びつきをなくすことができ、あわよくばインドの植民地を奪取することにもつながります。ナポレオンはそこでエジプト遠征を決行しました。
ナポレオン率いるフランス陸軍は初期はエジプトでの陸戦で勝利を得ていましたが、アブキール湾海戦でフランス海軍はイギリス海軍に大敗を喫し、フランスは地中海の制海権をイギリスに奪われました。この結果、ナポレオンはフランス本国との連絡が出来なくなり、欧州大陸諸国はナポレオンがいないフランス陸軍になら勝てると考え、第二次対仏大同盟を結成し、フランスとの戦争が再開します。(第二次対仏大同盟vsフランス革命政権)
ナポレオンは自軍をエジプトに残したまま、密かにフランスに帰り、第二次対仏大同盟との戦争に参戦して結果、第二次対仏大同盟はフランスに敗れます。この時も、イギリスだけは戦争を継続しています。
と、こういう流れです。