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宋と異民族の国との間の上下関係(君・臣,兄・弟)は、冊封体制における宗主国・朝貢国の関係に当てはまります。
北宋(宗主国)は遼や西夏(朝貢国)へ歳弊を送ることで和平と衝突の回避を実現しました。
南宋と金との関係が以前と逆になっているのは、力関係の変化の表れです。南宋の力は弱く、金の臣下となり歳弊を送らなければ和平を実現できなかったのです。
北宋は文治主義をとっていたことで軍事力が低下していました。
それを背景とした消極的な外交政策が澶淵の盟と慶暦の和約です。
なので、機嫌を取るためと言うよりは相手を力で押さえつけられなかったためと捉えるのが良いと思います。
ありがとうございます
機嫌を取るための歳幣という解釈のしかたで合ってますか!?上下関係を兄弟(君臣)で表すのなら上が兄(君)、下が弟(臣)で弟(臣)から兄(君)に歳幣を送るものだと思っていましたが逆なんですね、、、紹興の和議以外は。