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現代文 高校生

ここの質問知りたいです。

■第2回 文章表現の力 月 日( 第2回 ~19 文章表現韻文・文学史・文法の力 次の文章を読んで、後ろの問いに答えよ。 句読点による意味の違い(5点×4) ちかまつもんざえもん じゅずや せっせと句読点を打つ近松門左衛門に、数珠屋が「句読点かいな、い らんこっちゃ。」と言った。二、三日後、数珠の注文が門左から届いた。― 「ふたえにまげてくびにかけるようなじゅず」 数珠屋は「二重に曲 げて首にかけるような」とは、随分(A) 数珠を欲しがるものだ と、早速そんなのを一つこしらえて持たせてやった。すると、門左は 注文書に違うと言って押しかえして来た。 数珠屋は蟹のように(B しわくちゃな注文書をつかんで門左のとこに出掛けた。門左は じろりとそれを見て、「どこにそんなことが書いてあるな、二重に曲 げ手首にかけるような、とあるじゃないか。 だからさ、浄瑠璃にも句 (薄田泣菫『茶話』) 読法がいるというんだよ。」 かに じょう すずきだ きゅうきん 2 ② ① きみはしらないのですか。 きみはしらないのですか。 かれは会社にはいらない。 かれは会社にはいらない。 警官は血まみれになって逃げる犯人を追った。 警官は血まみれになって逃げる犯人を追った。 次の文は、句読点の打ち方によって二通りの意味になるものである。 読点の位置を変えて意味の異なる二つの文を作れ(読点は各文に一つ)。 句読点による意味の違い(5点×3) 次の各文について、後ろの( )内に指示された数の句読点をつけよ。 句読点を打つ(5点×3) ある日の暮れ方の事である一人の下人が羅生門の下で雨やみを待 っていた広い門の下にはこの男のほかに誰もいないただ所々丹塗り げにん らしょうもん だれ まるばしら 剥げた大きな円柱に蟋蟀が一匹とまっている (句点4・読点5) ②道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思うころ雨 あまぎ 問1( )Aに入る適当な形容詞を答えよ。 問2 (Bに入ることばとして、適当なものを次から選び、記号を○で囲め。 イ固くなって ア横に走って ウ真っ赤になって 問3 二人は、それぞれ、注文書のどこに読点を置いているか。 それぞれの文に 読点を打て 138 近代文学夏目漱石 (2点×10) ふたえにまげてくびにかけるようなじゅず。 ふたえにまげてくびにかけるようなじゅず。 なつめそうせき 夏目漱石についての次の文を読んで、後ろの問いに答えよ。 高浜虚子の勧めで、雑誌「ホトトギス」に風刺小説『 を発 小説家となった。松山中学に奉職した経験に基づく「 (A)の世界を求めて旅を続ける青年画家を描いた『草枕』を執 』や 筆し、反自然主義に立った。その後、三部作『三 2 727 5 脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さでふもとから私を追 はたち 2 って来た私は二十歳高等学校の制帽をかぶり紺がすりの着物に (2) 学生カバンを肩にかけていた ③ 私が自分に祖父のある事を知ったのは私の母が産後の病気で死に ばんのよう ふたつき 20 その後二月ほど経って不意に祖父が私の前に現れて来たその時であ (2 むっつ った私の六歳の時であった 次の俳句の季節を答えよ。また、解説を後ろから選び、記号で答え 近代(2点 411 ①万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村田野 AL ② あはれ子の夜の床の引けば寄る 中村 ) ( <-18

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日本史 高校生

至急でお願いします。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 [1] 近世社会の成熟と幕藩体制の動揺に関し、次の各問いに答えなさ [1] い。 [思・判・表] (1) 享保の改革と経済の発展について、 各文の空欄にふさわしい語句 を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.166~P.168 参照) 1716年, 紀州藩主 (①) が8代将軍となり、 享保の改革が 始まった。 この時代は、 手工業生産にも変化が見られ, 京都の西 陣から高機が伝わると, 北関東では問屋商人が原料や資金を農家 前貸し 製品を受け取る (②)も現れた。 学問の世界では, 江戸の儒学者 (3) が中国古代言語を研究して古典の解釈を 試み、 また、政治・経済などへの造詣の深さから ( ① )の政治 顧問にも就任した。 彼の説く学問は経世論として確立され、幕藩 体制に動揺のきざしが見えるとさらに盛んになり、弟子の ( ① )は、 藩による商業活動や専売制の必要を論じるなど, 後世にも通じる 経済論を展開し、江戸の政治、経済思想上に名を残している。 (2) 近世社会の成熟と危機の始まりについて、各文の空欄にふさわしい 語句を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.170~P.174 参照) (1) (2) e 2 ④ ① 3 © A (3点×12) 庶民の初等教育機関である(①)は, 18世紀半ばから19 世紀半ばにかけて増加・普及した。 文化面では、文人画の世界で 秀作を残しながら、 俳句の世界でも活躍した(②)が現れた。 同時代の画家には, 動植物を題材とする優れた作品を多く残した (③)もいる。 浮世絵の分野では, () が多くの美人画を描き人気を博した。 日本の古典を研究する (5)では、賀茂真淵や本居宣長が,文献学的な研究を発展させた。 政治の世界では、10代将軍家治の時代に老中を務めた (⑥) が, 商人の経済力に着目した財政再建に 取り組んだが、賄賂政治の批判を受けたり、相次ぐ天災や凶作で「(⑦) の大飢饉」が発生するなど, 社会 不安が広がる中, 失脚した。 農村でも変化が見られ、18世紀半ばには有力な百姓の中から農村工業や商業な どの多角的経営を始める (⑧)が各地に登場した。

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国語 中学生

文章読解です。 問6の答えがウなのですが、アではないのはなぜですか?

次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(1〜7は形式段落の番号である。) の手づくりといえば個性的な一品生産、機械づくりといえば規格化された大 量生産というのが、従来の通念だろう。だが少し考えるとこれは大きな誤り であって、じつは伝統的な手づくりは本来、懸命に と大量生産をめざ ろくろ はたお していたのである。(こ轆轤づくりの陶磁器といい機織りによる布地といい、 さらに型抜きの細工物から木版画まで、規格のない職人仕事は一つとしてな かった。 ちなみに面白いのは、 (注2) ウイリアム・モリスが手づくりの復興を唱える まえ、おりから盛んになった機械づくりへの非難は、それが規格化されてい じゅうたん せいち たからではなかった。機械づくりの絨毯があまりにも精緻にしあげられ、模 様に遠近法までとり容れられているのが不自然だ、というのが反対の主旨で あった。もう一つ機械が批判されたのはその出来映えのせいではなく、機械 が労働を分断して非人間化するという理由からであった。「機械が労働の分業 35 化を進め、単純労働の反復を招いて仕事の達成感を奪うというのが、モリス の師匠格の (注3)ジョン・ラスキンの主張であった。 こうした機械批判は当然、二十世紀にいたってことごとく根拠を失ってし まった。手仕事では及ばない機械の精緻さはますます進化し、いまでは半導 体のような精密商品は機械でしかつくれない産品になった。電子制御技術が 発展するにつれて、逆に機械で一品生産をおこなうことももはや夢ではない。 『分業のもたらす労働の非人間化についても、機械が労働時間を短縮するこ とによって解決されてしまった。労働者は多くの余暇を与えられることにな って、そのなかで人間的な時間をとり戻すことができるからである。その余 暇の楽しみとして、スポーツやゲームと並んであらためて手仕事が魅力を増 したのは、皮肉だともいえる。 結果として、現代に残された手づくりの意味とは何であろうか。第一はほ かならぬ。余暇のなかの手仕事であって、手料理や庭いじりや模型づくりな ど、現実的な効用を期待しない作業の楽しみだろう。現実の効用至上の仕事 は目的の無限の連鎖のなかにあって、たとえば木を伐るのは板を削るためで あり、板を削るのは家具を組み立てるため、家具をつくるのはそれを売って

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