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古文 高校生

答えが分かりません。お願いします。

再読文字 として一だうために、下から返って再び ことにしている文字 (4) ~(セ)ず。 - まだ~(し)ない。 A 次に返りをして、その成り立ちを示せ 将来 当然 未熟 見羊を見て。 まだ羊を見ていない。 2 を参考にして、次の各文の送り仮名を補え (4) 38 封之賞。 [三]~(セントす。 というがない。 今にも(これから)~(し)ようとする。 入 楽 引酒飲 に入らんとす。 今にも) に入ろうとしていた。 引き寄せ、今にもそれを飲もうとした。) DO なんちノ ~~ 当日(応ニ)~(1) ペシ。 ~するべきだ。(主として当 きっと~(する)であろう。(主として「応」 当 を憎むべし。 タルハ 汝遠来応有意。 ▽あなたが遠くまで私を送って来てくれたのは、きっと考えがあってのことだ ろう。 ④男児当死中 A 男子は死の危険の中にあっても生きることを求めるべきだ。) 孔子礼於老子 (火) 人はわずかな時間も惜しむべきである。 ラク~(スペシ ぜひ〜する必要がある。 孔子は隣の国に行って、礼について 老子にたずねようとした。) 大須自省察 らく自ら察すべし。 人はぜひ自分で反省してよく考える必要がある。 シクー(スペシ 〜(する)のがよろしい。 宜しく語を慎むべし。 3 次の各文を書き下し文にし、 2220訳せよ。 関中。 取其 長所。 ( 言葉を慎むのがよろしい。 ノ (スル)ガとシ ちょうど~のよう (同じだ 不及 過ぎたるは及ばざるがごとし 行き過ぎているのは、ちょうど及ばないの と同じである。 ゾ~(セ)ざん。 どうして~(し)ないのか。 (~(し)てはどうか。) (1) (1) 父也。 4 書き下し文を参考にして、次のを用いて正しい文を作り、 返り点と送り仮名 を施せ 〔少年・惜・須・時)。 ざる。 あなたはどうして このことを 言わないのか。 らく少年の時を惜しむべし。

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現代文 高校生

この暇と退屈の倫理学の問題が考えれば考えるほど分からなくなってしまったので、解説、解答してくだされば嬉しいです!お手数おかけしますがよろしくお願い致します🙇

R (H M 青 Jeg いるのである。 は社会主義革命の到来後の社会 以外の何に向かうのか。 に向かうのだろう。 余裕を得 しよう。そのときに私たちけ の講演 「民衆の芸術」で、 の盗人のように突然やってく。 モリスは、もしかしたら 起こそうかと考えている。 おもしろいのは、社会 だろうか。 者、ウィリアム・モリ 理学の試みは、 いかに生きるべ 殿の中で退屈し 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。その余裕には少なくとも 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手に入れ る。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 二つの意味がある。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全ての時 間を割く必要がなくなる。 そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってきたのだ ろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが返って きそうである。確かにそうだ。金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あらゆる活動が生 存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のことはほとんどできな い。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余裕を使って、それまでは願 いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのように考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。その「好きなこと」とは何か。 やりたくてもできな かったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きている人たちは、 その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得した 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願いつつもか なわなかったことではない。 問題はこうなる。「そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持ってい! たのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、"文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世紀の資 本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。芸術家だって霞を食って生 きているわけではないのだから、貴族から依頼を受けて肖像画を描いたり、曲を作ったりしてい た。芸術が経済から特別に独立していたということはない。 けれども二十世紀には、広く文化という領域が大衆に向かって開かれるとともに、大衆向けの 作品を操作的に作りだして大量に消費させ、利益を得るという手法が確立された。そうした手法 に基づいて利益を上げる産業を文化産業とよぶ。 「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願い なこと」を与えてもらっているのだから。 があったかどうかも疑わしい。 願いをかなえる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好き 分の好きなことが何なのか分からない。 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だ が、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自 そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提

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現代文 高校生

色々書き込んでて見にくいです汗 自分なりに要約をして見たのですが,答え(本書のもの)と照らし合わせても正しいと判断して良いのかわかりません。判断お願いしたいです。

国民国家 入試でキーワードをチェック! 現在では地球を覆いつくし、われわれ地球の住民がそのなかで生きることを 余儀なくされている近代的な国民国家は、たとえばフランス革命期や明治 維新期などその成立期の文化政策や言語政策が示しているように、強力な国 民統合を行うために一言語・文化主義(したがって多言語・多文化の抑圧) を強行せざるをえなかった。歴史的な条件によって 多文化主義や多言語主義 を余儀なくされている国々であっても、それはまさしく余儀なくされているの であって、そうしたスローガンや政策にもかかわらず、つねに一元的な統合 への強い力が働いているのが現状である。そのような国民国家のなかで、近代 の文学はそれが用いる言語(国語)、それが描きだす世界、それが果たす役割、 その生産と消費の構造、等々において国民国家を映しだす文学であり、その意 味でいわゆる国民文学ばかりでなくすべての近代文学が、基本的に国民文学で あると言えるだろう。 出典 西川長夫 『国民国家論の射程』 題 駒澤大学経済学部 ANTAA 読解のポイント 近代の国家 =一言語・文化主義 国民国家 近代文学 国語の使用、描写する世界、 生産と消費の構造 国民文学=国民国家を映しだす文学 要約 近代的な国民国家には、つねに一元的 な統合への強い力が働いている。そのよ うな国民国家のなかの近代文学は、すべ 国民文学だと言える。

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地理 中学生

模試の答えを知って自己採点したいです どなたか答えを教えてください!

問4 Kさんは、日本の経済や産業に関するできごとを年代の古い順に並べた表を作成した。 これについ て、あとの各問いに答えなさい。 日本の経済や産業に関するできごと 諸藩が西洋の技術を導入して各種の藩営の工場をつくった。 官営八幡製鉄所が操業を開始した。 関東大震災がおこり 東京 横浜の商工業が打撃を受けた。 朝鮮戦争による特需景気で経済の復興が進んだ。 石油危機がおこり, 石油に依存する産業が打撃を受けた。・・ (ア) 表中のAの時期について、 あとの各問いに答えなさい。 (i) この時期のできごとについて説明した次の文I~ⅢIを年代の古いものから順に正しく並べたもの を. あとの1~4の中から一つ選び, その番号を答えなさい。 Ⅰ 内閣制度が創設され、農商務大臣を長とする農商務省が産業政策を担当することになった。 ⅡI フランスの技術を導入して官営の富岡製糸場がつくられ, 士族の子女が女工として働いた。 II 日英通商航海条約が結ばれ, 産業の発展に欠かせない関税自主権の一部が回復された。 2, 11-11-1 1. Ⅱ→I→ⅢI 1. X と a 政策 X 文明開化 人物 a 原敬 (次の資料は、この時期に政府の中心人物の一人が提出した建白書の一部である。 資料の建白書が 求めている政策と, 建白書を提出した人物の組み合わせとして最も適するものを. あとの1~4の 中から一つ選び, その番号を答えなさい。 資料 仰キ願クハ,一定ノ法制ヲ設ケテ以テ勧業殖産ノ事ヲ興起シ, 一夫モ其業ヲ怠ル事無ク, 民共ヲ得サル憂ナカラシメ, 且之ヲシテ般富(注)充足ノ域ニ進マシメン事ヲ。 かつこれ (注) 富み栄えること 2. X b 3. Ⅲ→I→II Y 殖産興業 b 大久保利通 4. 皿 → I → I 3. Ya 南中 -7- 4. Y b (イ) 表中の B の時期について,次のグラフは,この時期の日本の輸出額と輸入額の推移を示したもので ある。このグラフから読み取れることと, グラフ中のPの時期の日本の輸出についての説明文の組み 合わせとして最も適するものを,あとの1~4の中から一つ選び, その番号を答えなさい。 グラフ 2500円 (百万円) 2000 1500 1000 500 0 読み取れ ること 説明文 1. X と a ・輸入額 -----輸出額 2. Xb X 貿易赤字は最長で5年間, 貿易黒字は最長で4年間続いた期間がある。 Y 前年に比べて輸出額が減少した年は輸入額も減少し,前年に比べて輸出額が増加 した年は輸入額も増加している。 a 綿糸の大量生産が本格化し, 清や韓国への輸出が増えた。 b ヨーロッパ諸国が撤退したアジアの市場や, 好景気にわくアメリカへの日本製品 の輸出が増加した。 P 3. Ya 1. あ 満州 い: 地租改正 3. あ : インドシナ い: 地租改正 い: 地租改正 5. 北海道 注: 数値は1年ごと。 (「数字でみる日本の100年」をもとに作成) (ウ) 表中の C の時期のできごとについて説明した次の文中のあ いにあてはまる語句の組み合 わせとして最も適するものを、 あとの1~6の中から一つ選び, その番号を答えなさい。 4. Y b 日本は, 柳条湖事件をきっかけとする軍事行動によりあの権益を握った。 い の影響で 生活が困窮していた農民の多くが、 開拓のためあへ集団で移住した。 -8- あ : 満州 い : 昭和恐慌 4. あ インドシナ い: 昭和恐慌 い : 昭和恐慌 6. あ 北海道 (エ) 表中の D の時期におけるできごとについて説明した文として最も適するものを、 次の1~4の中だ ら一つ選び、その番号を答えなさい。 1. 経済や産業の面から戦争を支えたとして, 財閥が解体された。 Q. 先進工業国の温室効果ガスの削減率を定めた, 京都議定書が採択された。 3. 重化学工業の発展とともに, 水俣病や四日市ぜんそくなどの公害の被害が深刻化した。 経済復興をアピールするため招致したオリンピックの開催を、戦争の長期化を理由に辞退し

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漢文 高校生

現代語訳のやり方がわかりません ポイントがあれば教えていただきたいです また、5番の難ってなんて読みますか?

問 次の文はすべて反語の意味を含む。傍線部に注意しながら漢字かなまじりで書き下し、現代語訳せよ。 の読みがな、送りがなは省略してある)。 未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らんや。 いまダラ せいヲ クラレラ しヲ ① 未知生、隠知二死。 しゃう 王侯将相、 2 3 ⑤ 4 孰 (5) 6 CO いや、知らない クラブ あしゅ 寧有種乎。王侯将相寧くんデ種有うんやっ 有る の ベキニ わらフ 以異此胡之可笑 ○胡… 胡人。西域の異民族(漢民族以外)を指す 24 まど無く 無」惑。 ○能・・・~できる ○惑…心の迷い。 戸惑い つとメテつメバこれヲ コトカミし 日勉積之、何 難之有。 ひゃくじう の みテ われヲ ラン はしラ 百獣之見」我而 不走 なんぢヲ 若何 虞や真や茶何せん 44 ひニ ⑦虞 能よ 虞キ * 奈我 < 「生きることからないのにどうして死ぬことをやっている?い ✓ fli か 五神はどうして皿じう違いある 何を以て此の明の笑ふべきにならんが。 邪。 執か能く惑て無からんや ・百獣の我を見て敢へて走らごらんや ○虞…人名。美人だったので"虞美人"と称せられた ○若・・・お前

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現代文 高校生

この問題の答えを教えてください🙇‍♀️

Since 1994 N TURITORY 【二】 次の文章は、小池昌代の随筆「道について」の一部である。後の問いに答えよ。 (30点) 知っている道に出たときの、あの不思議にほっとする、あたたかい感じ。わたしたちはどんなに大人になっても、身体の奥に、迷子に なることの恐怖をかかえて生きているのではないだろうか。 しかしどんな道も、いかなる町も、生きているひとと知り合うのに似て、少しずつ、だんだんと、なじんでくるものだ。 町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」というガイネンも入ってきた。 目印だけを頼りに通っていた道が、 案外回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れてみた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。 道を歩くことは、こ うして全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。 知らない道が見知らぬ場所へひとを誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る 道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。 1 道には知っていることと知らないことを結びつける機能が備わってもいるようだ。知っていることを伸ばしていけば、知らないところ へ出る。 知らないものを伸ばしていくと、知っている道に出る。 外国に旅に出ると、特に一人旅では、こういうことは明瞭に起こる。 言葉の不自由さに加えて、土地そのものからはじかれている感じ は、ひとを二重に異邦人にするが、それでもひとつの道が次第に親しい道になっていき、日々、見知らぬ場所へとひとを運び、再び宿へ とひとを戻すとき、その道はひとにとって、水や塩に等しい、命をつなぐ脈ともなる。 そうした道に付けられてある通りの名前を知った りすると、道は、いつでも記憶のなかに呼び出せる、親しい友のような表情さえ表す。 初めての道に足を踏み入れるときは、いつも身体に緊張が走るが、すべての道は、二度目に通るときから、「知っている道」になるこ とも面白い。当たり前のことだが、そのことはうれしい。 二度目に通るとき、ひとは、今の道と記憶のなかの道の、二つの道を同時に歩 くのだ。 以前、わたしの友人に、新しい記憶ほど剥がれ落ちてしまうという記憶障害を持っているひとがいた。そのせいなのだろうか、彼は何 度来ても、わたしの家へたどりつけない。 わからなくなったと、途中で電話が入る。 障害のことをそのとき知らなかった。そのたびに駅 まで迎えに行って、目印になるものを教えながら歩いたが、ついに、ひとりではやってくることができなかった。 わたしの祖母の呆けも、自分の家に帰れなくなったところから始まっている。 祖母も友人も、どれほどに自分がもどかしく、ふがいなく、心もとなく、不安だったことだろう。あのときは、ただ困った状況として とらえるだけで、彼らの不安そのものには目が向かなかった。 行きたい場所へ、行き着けないいま思うと、彼らの不安は、わたしの不安そのものに思える。 不安はすべて、未来を先取りした途 上に生まれ、その意味で、生きることはそのまま丸ごと、「不安」そのものだ、とわたしは思う。 子供のころ、迷子になったことがある。 夏の朝、家の前の道を、ひとりでずんずんと進んでいった結果、とんでもないところへ出てし まったのであった。 気がついて見回した町並みは自分のまったく見知らぬ場所である。見知らぬひとが歩いている。 見知らぬ自転車がとまっている。 自分 で勝手に歩いてきただけなのに、自分の帰るべき根元のようなものが、ぷっつんと音をたてて切れてしまったようだった。 遠心力のよう な透明な力によって、リフジンに道端に捨てられたような気がした。 わたしは、ひとりだった。 あたたかい共同体からはじきだされて。 こん棒で胸をつかれたような、激しい悲しみの感情がわいた。 わたしは大声をあげて、泣いたのではなかったか。 今でも遊園地やデパートや公園などで迷子のアナウンスがなされると、その子供の不安が自分のなかで、同じくらいの大きさにふくら んでしまう。きっと誰かが迎えに来てくれるに違いないと思うが、そうしたアナウンスは、見つかりましたという結果までは流さない。 とっ さに脳裏に浮かぶのは、親から見捨てられた、永遠の迷子としての子供のイメージである。 それが自分のなかの悲しみのようなものと共 鳴する。 ここはどこ? すべての迷子は、まずその疑問に射抜かれている。いつも暮らしている場所にいるとき、わたしはそんな質問をもった ことがなかった。自分が生きている場所を見失う不安、それは自分自身を見失う不安のことなのかもしれない。 ここはどこ? というひ とつの疑問は、わたしはだれ? という次の疑問を容易に呼び出しそうな気配を持っている。 しかし、わたしは、自分が迷子になったあのときの、ひりひりとした、 異様に新鮮な不安を、大人になった今、時々、味わいたいと思 & e 1

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