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数学 高校生

2枚目の問題を教えてください!お願いします🙇‍♀️

次の文章を読んで、ト キルケゴールは、近代の客観的真理を重視するあり方を批判し, 主体的真理を追求するこ と説いた。それによって人間本来の存在の仕方である 「実存」の現出を訴えた。 客観的真 理は理性によってとらえられる、万人にとって普遍的に認識される真理であるのに対して, 主体的真理はAである。 キリスト教的な世界観に強く依拠した生涯を送った彼にとって, そのような実存は、世俗的な人間的集団やそのような集団において共有される倫理感からは 決別し、自身を神の前に一人立つ ( 1 ) として獲得されるものであった。 彼は、それに いたる三つの段階を想定した。 それは(a) 美的実存,倫理的実存, 宗教的実存である。 一方、ニーチェによると, (b) キリスト教の禁欲主義的で平等主義的な倫理観は,自己を より高め、強くなろうとする衝動をもち得ない, または実現し得ない弱者が、そういった衝 動をもち、または実現しうる強者に対していだく怨恨感情である ( 2 )に依拠している という。彼はキリスト教的倫理観や世界観を否定する際に「神の死」 (「神は死んだ」)と いう表現を用いる。 神の死によって, キリスト教的世界観の直線的時間軸は崩れ, 円環上の

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国語 中学生

この問題の解き方を教えて頂きたいです🙇🏻‍♀️

3/3 > 3 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 く東京線) 米 れき 110世紀後半に科学が非常に速いスピードで進んだために、さまざまな軌幌が生 |じてきた。生活スタイルも、社会の構造も、科学の発達のために、大きく変わって きている。変化のスピードは人類がこれまでに経験してきたものと比較にはならな い。長い地球上の生命の歴史の本の、最後のページの最終行に登場してきた人類で あるのに、過去五0年あまり、 六五日の歴史の中の0.四秒あまりの短い間に、 われわれは地球環境を変え、他の生物との関係も人間同士の関係も変えつつある。 それには、当然ながら、光の部分も陰の部分もある。ある方向に科学が進歩してし まったら、昔はそうではなかったといったところでどうにもならない。現状を認識 し、そこからどうしていくのかを考えなければならない。。 二〇世紀後半は科学にとって「知の爆発」の時代であった。生命科学の分野にお いては、二一世紀もそれは続くであろう。しかし、私たちはいま、科学のもたらす 新しい知識や発見、成果をどのように生かし、コントロールしていくかを問われる 時代を迎えている。 知の活用の仕方をコントロールするには、知恵が必要である。科学の発達がわれ われにもたらす光の部分と陰の部分を考え、地域の文化·伝統·環境·経済を大切 にすると同時に、グローバルな視点ももたなくてはいけない。「時間軸と空間軸の 座標」の原点にとどまり、自分や家族、今日明日しか考えないのではなく、一〇O 年前の日本、一 ○○年前の世界、人類の誕生、恐竜が闇歩していたころ、生命の 謎生、地球 の誕生へと過去を 遡ったり、逆に何世紀か先の未来へ思いをはせてみ 8 たりしたい。また、超ミクロな素粒子や原子分子の世界を考えてみるのもよい。 遺伝、代謝などの生物学的現象、石油からゴムや繊維やプラスチックを作る化学的 現象、光や熱が伝わる物理的現象はみな光子、電子、原子、分子の相互作用で起き ているのだから。 さらに、地球、太陽系、銀河系そして宇宙の果てへと思索の旅を するのもよいだろう。こうした座標の中に置かれて初めて、人類の位置付けや科学 のもつ意味を、さらには、科学の進むべき方向を探る知恵が得られるのではないだ ろうか。 (無田始子「科学を育む」 より) (注)*軌=不具合。 *グローバルな=地球規模の。

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世界史 高校生

この範囲はこの教科書だとどの範囲なのか教えてください

第5問 第一次世界大戦(資料·地図·写真利用) A 標準)《第一次世界大戦とその後の欧米》 の乳ケく 正解は3 ン 問1。 資料1は第一次世界大戦開始に際しての皇帝ヴィルヘルム2世の言葉。 資料3は第一次世界大戦末期に起こったキール軍港の水兵反乱に関する資料で これを機にドイッ革命が起こり,ドイツ共和国が成立した。各楽 アでは第一次世界大戦開始時のドイツ, イでは第一次世界大戦終了時のドイツの 25 状況が求められている。 O誤り。ア.「ナチ党による一党独裁」の成立は第一次世界大戦後の1930年代。 イ.「ボリシェヴィキ」が権力を奪ったのは 1917年のロシア十月革命(十一月革 命)後で,この翌年に第一次世界大戦は終了する。 の誤り。ア.「共産党による一党独裁」は第一次世界大戦後のソ連に成立した体制。 イ.「14 か条」は第一次世界大戦後のパリ講和会議の原則。 のア. 資料1に「ただドイッ人あるのみである」「党派の違い, 地位や宗派の違い なく」とある。また,アの直後に,「人々は開戦を熱狂的に支持した」 とあり, ドイツ国内の「どの政党·団体も」立場や主張を超えて一丸となり, 第一次世界 To 大戦開戦を支持したことが読み取れる。 イ.第一次世界大戦はドイッ革命による皇帝ヴィルヘルム2世の亡命でドイツ帝国 (が倒れ,ドイツ共和国が成立し,共和国政府が連合国と休戦条約を結び終結する。 の誤り。ア.資料1の「各政党の党首が前に進み出て,余と握手して誓約するよう 命じる」から,皇帝は政党の存在を理解していると判断できる。また,ヴィルへ お ルム2世の即位直後には,ドイツ社会民主党が成立(1890 年)、し、議会政治が 行われているから,この点でも皇帝は政党を理解しているといえる。 文書 (イ.ヴァイマル憲法の制定は第一次世界大戦後の 1919年。

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