次の文章を読んで、ト
キルケゴールは、近代の客観的真理を重視するあり方を批判し, 主体的真理を追求するこ
と説いた。それによって人間本来の存在の仕方である 「実存」の現出を訴えた。 客観的真
理は理性によってとらえられる、万人にとって普遍的に認識される真理であるのに対して,
主体的真理はAである。 キリスト教的な世界観に強く依拠した生涯を送った彼にとって,
そのような実存は、世俗的な人間的集団やそのような集団において共有される倫理感からは
決別し、自身を神の前に一人立つ ( 1 ) として獲得されるものであった。 彼は、それに
いたる三つの段階を想定した。 それは(a) 美的実存,倫理的実存, 宗教的実存である。
一方、ニーチェによると, (b) キリスト教の禁欲主義的で平等主義的な倫理観は,自己を
より高め、強くなろうとする衝動をもち得ない, または実現し得ない弱者が、そういった衝
動をもち、または実現しうる強者に対していだく怨恨感情である ( 2 )に依拠している
という。彼はキリスト教的倫理観や世界観を否定する際に「神の死」 (「神は死んだ」)と
いう表現を用いる。 神の死によって, キリスト教的世界観の直線的時間軸は崩れ, 円環上の