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歴史 中学生

中2の歴史です。 分かるとこだけでも教えてください🙏🏻

1 だらだの .…. 1787年, 老中松平定信が始める。 朱子学以外の学問を禁止。 生活難から救うため、旗本や御家人の借金を帳消しする。 江戸に出かせぎにきた農民を村に返して耕作を促す。 ききんに備え、各地に米をたくわえさせる。 きびしすぎて反感をかい, 十分な効果はあがらなかった。 (3) 外国船の接近 ロシア・イギリスなどの船が,通商を求めて日本に接近。 ごく きょ ひ 幕府は鎖国を理由に拒否。 わん → 北海道や江戸湾の警備を強化。 こんどうじゅうぞう → 近藤重蔵や させる。 ちしみからふき 2 に、千島樺太を探検 1825年, 3 こうぽぎ ・・・日本に近づく外国の船への攻撃を命令。 を出す。 ひょうちゅうみん 漂流民を引き渡そうとしたアメリカの商船を砲撃する。 モリソン号事件 1804レサノフ 1853プチャーチ 1808フェートン ぱんしゃ 蛮社の獄… 異国船打払令を批判した蘭学者を幕府が処罰。 高野長英や渡辺崋山 ht: A | ロシアの | イギリスの 「アメリカ船の航 数字は前年 ゴロ 1842年, 異国船打払令をやめて、 外国船に物資をあたえるよう命 じる。 聞かざる 1262. 非難はなしよと 寛政の改革 EL D 祖父である。 第8代 将軍徳川吉宗の政 治を理想とした。 イギリス 37: 8909 1792 18.54 プチャーチン マン 江戸 [1837 モリソン号) 1830 1849 イギリス アメリカ 合衆国 ★日本に接近する外国船 なぜ? アヘン戦争でイギリスと戦っ しん。 たが敗れたことで、 欧米諸 国の強さを知ったから。

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歴史 中学生

この問題の答えを全て答えて欲しいです😭😭

さなさ サポート メリカが、 太平洋で行っていたことは何かな? 学 2化政文化と新しい学問 次の問いに答えなさい。 2(1) ヨーロッパの文化をオランダ語で学ぶ学問を何といいますか。 2(2) 杉田玄白らがヨーロッパの解剖書を翻訳して出版した書物は何ですか。 すぎ たげんばく かいばうしよ ほんやく そくりょうじゅつ ロ(3) ヨーロッパの測童術を取り入れ, 日本地図をつくった人物は誰ですか。 2(4)「古事記伝」を著し, 日本古来の伝統を研究した学者は誰ですか。 2(5)(4)が大成した学問を何といいますか。 2(6) 鳴滝塾を開き, 日本人医師を育てたドイツ人は誰ですか。 2(7) 19世紀初めの文化·文政期に栄えた文化を何といいますか。 (8)(7)について, 次の①· ②に適する人物を, 下の語群からそれぞれ1人 ずつ選んで書きなさい。 0 俳譜で、農民の素朴な感情をよんだ人物。 2 錦絵作者で、, 美人画をえがいた人物。 【語群】葛飾北斎 喜多川歌磨 らわ らい 学 たいせい なるたきじゅく よんせい 文化 (8)0 はいかい ばく しきえ かつしかほくさい きたがわうたまる よき そん まつお ばょう 日中しいっ 与謝麻村 松尾色無 小林一茶

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

問4と問5の解説お願いします。 答えは④,①です。 わかる問題だけでも構いません。

0コ0コ ロロ同 のようなテーマが彼らにとっては全く「中立」に映らないだろうということです。もし私たちにとっ でその主題が「中立的」に見えるとしたら、それは私たちが「民主主義は当然のこと」という価値観 が普及した地域にいて、他の価値観をさほど想定せずに済んでいるからです。 理系が関わる例でも事情は変わりません。一九七○年代~八○年代の日本では、環境問題を研究テー ーマに選ぶ理系学生は民間企業での就職が大変になるといわれていました。マジョリティが環境問題」 に関心がなかった時代、敢えて環境に関心を持つことは「偏ったこと」とみなされかねなかったので」 す。現代ならこの感覚はむしろ逆でしょう。 「地球環境を気にかけること」も「民主主義を自明視すること」も、それぞれ一つの価値観であり、 政治的信念の一種です。ただ、その価値観がマジョリティにとって一般的になっている時代、地域で一 はそのことが目立たないだけです。 の うん。 もちろん、「テーマの選択が政治性を持つ」ことは仕方ないにしても、それは研究の過程に政治性が一 入り込むこととは違うのではないか、という指摘は可能です。 たとえば、公害問題や、歴史上の虐殺事件といった問題に対し、ある組織や人物にとって不利にな」 る証拠を隠蔽した上で論文を書いたとしたら、それは「政治的」かつ「党派的」なデータの隠蔽です し、研究不正に等しい行いです。 論争になりやすいのは逆のケース、すなわち証拠として用いる材料を広げる場合です。たとえば、 教育を受けた役所の人間が残した文書記録や、定量的に計測可能な証拠といった従来も用いられてい た判断材料だけではなく、知的障害をもつ人の数十年前の記憶や、コンピュータによるシミュレーシ ョンなど、確実さにおいて劣る要素を持ち込む場合、前者は「実証的」だが後者は違うとして、拒否」 されることがあります。そして、そのような不確かなものを研究の材料に使うのは、政治的な意図が あるからだと。キュウダンされたりするのです。 事例ごとに事情は違うので、一般化は困難なのですが、科学史を踏まえて私が思うのは、どちらか といえば、検証する対象を増やす方が、検証の厳密さを求めてそれを避けるよりは実りが多いのでは一 ないかということです。 1101八年現在、日本では過去の優生政策により障害者に対する強制的断種手術が行われたことが 問題視されていますが、これも最初は当事者の証言を真剣に聞き、証拠となる資料を探した歴史家の一 努力がありました。また、地球温暖化問題が前世紀半ば、最初に話題になったときには、それがシミ ユレーションに基づく推論であることが問題視されましたが、現在はそうした手法が科学的推論の一 (ahsg) つとして認知されています。 以上のことを踏まえるならば、むしろ、「複雑な対象を前にして、価値中立を掲げることが持ちうる 政治性」こそが念頭に置かれなければなりません。すなわち、マジョリティの価値観に浸っているた一 めに自らの政治性が自覚できていない状態のことを、「中立」という名で呼び変えていないかどうかを、 改めて問い直す必要があるでしよょう。 それに加えて、人間の理性の限界という問題もあります。実際、本人は真剣に研究をしている場合 でも、無意識のバイアスで、ある証拠を完全に見逃し、自分の論点を支持する証拠ばかり集めるとい うことがありうるからです。一世紀において、女性の知性が男性に劣るとの見解を出したいくつか の研究には、明らかにこのような傾向がみられました。 司寺に言えるのは、「学問は現実の対象に近づくほど不可避の政治性を帯びる」ということを踏まえ vそれでも「学問的方法論に根ざして言葉を紡ぐことの大切さです。物理学のような法則定立的な方一 AuDろ、歴史学のような個性記述的な方法にしろ、定量的な社会学のようにその中間的なものにし Lo、それは世界を認識する異なったやり方として、数世代にわたり様々なテストを生き残り、受け継 がれてきた人類の遺産なのです。

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