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El
5
ふじむら
10
かさがけ
小笠懸(『勇三郎絵巻』, 東京国立博物館蔵) 笠懸, 笑迫物、流馬は騎射当物
といわれ、鎌倉時代の武士のたしなみであった。 犬追物は、 騎馬で犬を追いなが
ら矢を射るもので、 笠懸は笠を的にして騎射を競った。 流鏑馬は神事など儀式の
際に行われ、的を笠懸よりも近くに立てた。
●本領安堵
●新恩給与形をとる
朝廷の官職への推挙
将軍と御家人
しゅじゅう
けらい
かまくらどの
とによって、彼らと主従関係を結んで家来とした。 将軍 (鎌倉殿) の家
頼朝は、武士の所領支配を保証したり(本領安堵),
せんこう
しんおんきゅうよ
戦功に応じて所領をあたえたりする (新恩給与) こ
ご け にん
ご おん
いくさ
来を特に御家人とよび, 御家人は将軍の御恩に報いるために,戦があ
5 れば戦場におもむき命がけで戦った。
ほうこう
ばんやく
平時での御家人の奉公は番役で, それぞれ一定の期間、朝廷の警護
おおばんやく
いえの
にあたる京都大番役と幕府を警護する鎌倉番役があった。 御家人は家
ろうとう
子や郎党らの従者をひきい, 何年か (不定期)に一度京都や鎌倉に滞在
武士の生活
●軍役
じべん
かこく
した。 これらの費用はすべて自弁で、 経済的にも過酷なつとめだった。
きんみつ
御恩と奉公からなる 「将軍 御家人」 の緊密な主従関係は,それまで
の貴族社会にはみられなかった。 所領でつながる主従関係を基礎とし
た,このような社会の制度を封建制度といい, 鎌倉幕府は封建制度に
ほうけん
封建的主従関係
御家人
京都大番役
●番役動仕鎌倉番役
もとづく初めての政権だった。
とうごく
やしき
東国の武士は, 交通に便利な小高い場所に屋敷
・関東御公事 内幕府・寺社
などの修造
不将軍と御家人の関係
しょじゅう
所従とよばれる農民を使って農業を行い, 所領の経営につとめた。
やかた
(館)をかまえた。 館は板葺きの簡素な建物を中心
からぼり
るい
としたもので, 空堀や土塁に柵をめぐらすなど,敵を防ぐための備え
かさがけ
いぬおうもの
があった。 どの館にも、笠懸, 流鏑馬, 犬追物の練習のため、広い馬
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げ にん
場があった。 武士は、ふだんは家子や郎党とともに領地に住み、下人,
補住の
けつえん
そう
鎌倉時代の武士は, 一族が血縁によって団結し,一族の長である惣
うじがみ
領を中心に、 武士団を組織していた。惣領は、氏神や祖先をまつり,
合戦への参加
人の
しょし
とうそつ
ぐんやく
一族の武士 (庶子) を統率して軍役や番役をつとめた。また、祖先伝来
の本領は惣領が相続するが、 新しく開発した所領は、庶子に分割相続
異国警固番役
しんじ
流鏑馬 現在でも神事とし
て各地で行われている。
・鎌倉幕府が「封建制度
にもとづく初めての政権」
といわれるのはなぜだろうか。