学年

質問の種類

世界史 高校生

世界史探究の問題です この、44と45と48なのですが、 44が「アメンホテプ4世(イクナートン)」 45が「アトン」 48が「アモン」 と書いても大丈夫でしょうか

(2) 王 ③前3000年頃、( 38 ) (王)による統一国家形成・・・ 長期に国内統一を維持 ①約30の王朝が交替・・・ 3時代の繁栄期 前3000年 前2000年 前1000年 古王国 中王国 新王国 前27世紀頃~ 前21世紀頃~ ヌビア人 前16世紀~ 前22世紀頃 クシュ王国 ●な 前18世紀頃 前11世紀 遊牧民( 39 )の流入 アッシリアの征服 古王国 ( 40 ) (ナイル下流域) 中心 ・・・クフ王らが巨大な ( 41 ) を建設 →絶大な王の権力を誇示 中王国 ( 42 ) (上エジプト) 中心 →末期に( 39 )が流入:国内一時 混乱 新王国 ( 42 ) 中心 地中海 ( 40 ) テル=エル=アマルナ 王家の谷 (42) 古王国の南限 紅 ・・・前16世紀成立、 ( 39 ) を撃退 → ( 43 ) へ進出 中王国の南限 アブシンベル 新王国の南限 © ( 44 )の信仰改革 (前14世紀) た しんきょう 従来の多神教を禁止 →( 45 )一神の信仰 死後撤廃 | 農耕地 ▲ ピラミッド (3) 宗教 ( 46 ) (中部エジプト)へ遷都 ・・・ 写実的なアマルナ美術の開花 ②太陽神 ( 47 )を中心とする多神教 →新王国時代:( 48 ) = ラー信仰が興隆 (テーベの守護神 ( 48 )と結合) ⑥霊魂不滅の信仰 ミイラ「( 49 ) 」 を作成→来世に行った死者の幸福を祈る

解決済み 回答数: 1
世界史 高校生

エジプトのところについてです。プリントを見返していて思ったのですが,古王国時代,クフ王がいましたよね?しかしプリントの下の方を見ると王ファラオとなっています。この王ファラオはいつの時代の人なんですか?

古 メンフィス 中 テーベ 前 14㎝ 2 王朝・・・約30の王朝 ( 1 )古王国(前 27 世紀~) 首都:メンフィス スマインクス (2)中王国(前 22世紀~) 首都: テーベ 3社会 (1) 王 (2) 社会 ファラオ 外神 ピラミッド ※クフ王のもの最大 ⇒前17世紀 遊牧民族ヒクリス (3) 新王国(前16世紀~) 首都:テート(アメンボで賞) ①ヒクソス追放 ⇒ 前14世紀 アメンホテプ4世 テルニエル アマルト はじめて見た →後々権威× 愛される (自称イクナートン) → イクシ _に遷都 ・唯一神・アテン 信仰強制 (テンショップリーズ 太陽のA アマルナ美術(写実的) アメンホテプ4世のネフェルティティの像 4 宗教 (1) 太陽神ラー (2) 霊魂不滅の信仰・・・ レギザにある。 一神 ② 前14世紀 ツタンカーメン王都をテーベに戻す ③ 前7世紀 一時アッシリアの支配下 前525年 J ※エジプトの有名人 トトメス3世 (前15世紀 シリアヌビア征服 エジプトのナポレオン) アメンホテプ4世 (前14世紀 世界初の宗教改革者) ラメス2世 (前13世紀 ヒッタイトと戦う=カデシュの戦い) メリポタミアぶっ倒した人達 メンカウラー王 侵入馬と戦車) キヒッタイト オリエント様~ ①神官・官僚・・・支配階級 ②住民・・・租税、無償労働の強制で苦しむ不自由民 ③ノモス(都市国家) cf. エジプト語ではセパト カウラー王 775 アケメネス朝ペルシアに 滅ぼされる エジプトも 世界初の 領域内 国際条約 ・・現身の神 絶大な権限・・・神権政治、 全国土支配 多くいる中の中心の神 K 中心の多神教、新王国時代・・・・ アモン=ラー信仰 シイラ 死者の書 テーベの守り神 レオシリスによって測りに かけられる

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

【至急】 現代文全然わからないので答えて欲しいです! ⑴傍線部①とあるがこのようにいうのは何故か。 六十字以上七十字以内で述べよ。 ⑵傍線部②とはどういうことか。 八十字以上九十字以内で述べよ。 ⑶傍線部③について、筆者の「ネーションへの帰属」に対する考えを百字以上百... 続きを読む

Rアや Sト す。この漠然とした読解を改善しなくては、現代文で安定した点奏をりる 身につけていきましょう。 (ナショナリズムとは何であろうか? またネーションとは何だろうか?ナショナリズムは、近代的な現象である。歴史家たちは、こ のことをよく認識している。ネーションやナショナリズムの始発点を近代のどの時期に求めるべきかについては、後に議論しよう。それ が厳密にはどの時期であるにせよ、ネーションという共同体が、古代にすでにスタートしていたという、ナショナリストたちがしばしば 抱く主観的な思い込みは、明らかに客観的な事実に反している。 ベネディクト·アンダーソンは、近代的な現象としてのナショナリズムのあり方を直感するためには、「無名戦士の墓と碑」のことを思 N ってみればよい、と勧めている。れらの墓は、徹底して匿名的であるか、あるいは空虚である。これらの墓にだれが葬られているか、 だれも特定することはできない。ときには、墓が、意図的に空である場合すらある。このようにだれかの死を記憶するための建造物が、 始めからまったく匿名的であり、実質的には空虚であることなど、かつてはなかったことである。つまり、これは、純粋に近代的な現象 なのである。かつても、遺骸の納められていない墓というものが稀にはあった。たとえば、古代ギリシャでは、何らかの事情によって遺 骸を通常のしかたで埋葬できない人のための空の墓があったし、エジプトのファラオの墓が、どういう理由によるのか、意図的に空にな っている場合がある。心かし>でれちは、社会のなかの特別なーしたがって名のある||人物のものであり、少なくとも同時代の人々 にとっては、どの個人のためのものか特定できたはずだ。しかし>社会の一般の、しかもこれほど大量の人々の墓が、時間の流れのなか で生ずる忘却の不可抗なはたらきによらずして、最初から匿名的なものとして設置されたことなど、かつてなかった。しかも』墓碑の公 共的·儀礼的な価値は、ひとえにこの匿名性に依存しているのである。アンダーソンの指示に従って、だれかどこかのひま人が、無名戦 士の名前を発見したとか、記念碑に本物の骨を入れようと言い出したと想像してみよう。Oこれは、奇妙な見当はずれの、冒漬的ですら ある提案に聞こえてくる。これらの墓は、明らかに空であるにもかかわらず、ある感情的な色彩をともなった国民的想像力を鼓舞する。 nJV まるで、この墓が記念する人々は不在であることを条件にしてこそ、まさにそこの住民であるかのようだ

回答募集中 回答数: 0
1/3