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ニケーア公会議では、キリスト教の教義について話し合われました。
対立していたのは、「アタナシウス派」と「アリウス派」です。
この二つの考え方の違いは、簡単にいうと、「イエス・キリストは、神なのか、人なのか?」です。
「アタナシウス派」が主張するのは、「三位一体説」です。
「三位一体説」とは、「父なる神、子なるイエス、精霊の三者は、同質で不可分である」という考え方です。
神は、精霊の姿で地上に降り、人間の姿で人々に布教を行った、ということです。
つまり、イエスは神の子であり、また神自身でもある、という考え方なんですね。
この、三位一体説は、皇帝にとって都合のいい考え方でした。
神は人間の姿を借りるのだから、自分自身が神だと主張することもできるからです。
皇帝が、神が人間の姿を借りているものであるなら、キリスト教徒も皇帝の言うことに従いますよね。
対して、「アリウス派」は、イエスの人性を認めました。
イエスは神を、「父なる神」と呼んでいます。
父と子は、別人ですよね。
でも、キリスト教は唯一神の宗教です。
イエスが神の子であるなら、神ではないんですね。
つまり、イエスは神の子だが、人間だ!と主張したんです。
アリウス派の考え方は、皇帝にとって都合の悪いものでした。
キリスト教を国教にしたのに、キリスト教徒が神にしか従わないといえば、国の統治が難しくなります。
そのため、ニケーア公会議でアリウス派は異端とされ、アタナシウス派が正当とされました。
長々と書いてしまいましたが、簡単に言うと、「キリスト教徒を皇帝に従わせるため」です💦
キリスト教を国教にしたのに、キリスト教徒が神にしか従わないとなると国の統治が難しくなるため、皇帝が神の代弁者となれるアタナシウス派が正当とされ、アリウス派は「キリスト教徒を皇帝に従わせるため」異端派とされた
...と、一文足しておくといいと思います。
...
ここに出てくる【皇帝】とはキリスト=神のことですか?
そうですね。
アタナシウス派の三位一体説で、「神がイエスの姿で現れた」とするなら、「神が皇帝の姿で現れた」と主張することもできるからです。
アリウス派が主張するように、イエスが人であったなら、神の教えにしか従わないキリスト教徒は、皇帝の声に従わなくなってしまいます。
キリスト教を国教にしたのに、キリスト教徒が神にしか従わないとなると国の統治が難しくなるため、アタナシウス派が正当とされ、アリウス派は「キリスト教徒を皇帝に従わせるため」異端派とされた
合ってますか?🙇♀️🙇♀️