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西郷隆盛は武力で朝鮮を征服して開国させる征韓論を唱えましたが、政府内で大久保利通を初めとする人達に否定されました。政府内では富国強兵を唱えて、日本を欧米諸国に負けないような強い国にするべきだという声が強まり、意見の不一致から西郷隆盛は政府を去りました。西郷隆盛の考え方は武士文化を尊重しており、政府を去った後に故郷の鹿児島に戻り
1877年に西南戦争を起こしました。表面上は武士を再び台頭させるための戦いでしたが、西郷隆盛も初めから近代的な武装(銃とか)をしている政府軍にすぐ鎮圧されることは分かっていました。しかし、西郷隆盛は最後まで武士としての意思を貫き通すために武士として戦い、死ぬことを望みます。
大久保利通と西郷隆盛は対立していましたが、彼らは薩摩藩の下加治屋町(現在の鹿児島)に生まれ、兄弟のように仲が良かった。
西郷隆盛の死を聞いた大久保利通は涙を流したと言う。
大久保利通は死の直前まで西郷隆盛からの手紙を懐にしまっていました。
そういう事だったんですね!!!
細かく教えて下さりありがとうございます🙇🏻♀️
征韓論を諦めたという意味だと思います。