✨ ベストアンサー ✨
鎌倉幕府がモンゴル帝国から2回にわたる攻撃を受けます。(元寇)日本の武士たち(御家人)は頑張ってその攻撃に対して戦い、無事に日本は守られました。でも、頑張って戦った時に、九州まで自腹で行きました。その巨額の出費があったにも関わらず、御恩である土地が貰えませんでした。モンゴル帝国から守ったのですが、モンゴル帝国の土地をゲットした訳ではないからです!土地もお金も、貰えないとすると御家人達は大変な借金をします。でもそれを幕府は払うことは出来ません。なので、徳政令を出すことで銀行的な商人に借金を肩代わりに払わせた、ということです!
まぁそのおかげで、信用を失った上、徳政令の効果はあまり無かったために御家人の不満を高め、1333年に鎌倉幕府は滅亡しました。
いえいえー!
なるほど!!!
ありがとうございます😊