歴史
中学生

荘園の事を具体的に教えてください…💦

回答

土地制度はややこしいので長くなります🙇🏻‍♂️💦

荘園公領制というのを聞いたことがあると思うのですが、名前の通り、同時期に荘園と公領が日本に存在していました。

荘園は私領(中央から与えられた口分田(=公領)ではない)で、律令制度下(奈良時代・平安時代くらい)の頃に、寺社や貴族が新たに土地を開墾して私有していたことに始まります。

大化改新(645年〜)の改新の詔では公地公民制が定められ、私有地は認められていなかったのですが、長屋王による三世一身法(723)、聖武天皇による墾田永年私財法(743)など 私有地を認める法が出てきました。それから寺社や貴族(=開発領主)が私有地を広げていったんですね。これが『初期荘園』です。

しかし荘園は輸租田=税がかかりますから、その税を嫌がった開発領主たちは、中央(朝廷)と繋がっているような偉い人たちに荘園を寄進してしまいます。これが『寄進地系荘園』というものです。
寄進した開発領主は『荘官(=下司・預所)』、寄進された人は『領家』という立場になりました。

(寄進した開発領主中には、国司の寄人として在庁官人(=国衙で働く人)となり、地方行政に進出する人もいました。)

寄進された人たちは、さらに身分の高い皇族などに荘園を寄進することがありましたが、その寄進された側を『本家』と言います。

本家と領家のうち、実質的に荘園を支配した人=1番偉い人を『本所』と呼びました。

このように寄進地系荘園では、1つの荘園に対してたくさんの人が所有権を持ちます。なのでよく、『寄進地系荘園は重層的な所有関係がある』といった風に表します。

寄進地系荘園の有名なものに、肥後国鹿子木荘・八条院領(鳥羽天皇と美福門院の皇女が両親から受け継いだ)・長講堂領(後白河上皇) があります。

"荘園"は、戦国時代の豊臣秀吉による太閤検地によって少しずつ減っていきました。(全国に1つも荘園がなくなったかといえばそれは言い切れないのですが)

国免荘や不輸不入の権などは教わっていますか?もし教わっていればまた回答しますので🙏🏻
質問あればぜんぜん言ってください🙏🏻✨

ゆでた🐣

ゆーさん😭😭いつもありがとうこざいます>_<
本当にわかりやすかったです!!
国面荘、不輸不入はまだ習っていません…💦
そこまで気を遣っていただけて本当に本当に感謝です…!!

ゆでた🐣

返信遅くなっちゃってごめんなさい🙇‍♀️

了解しました🙌🏻✨ありがとうございます!

ぜんぜん大丈夫ですよ!!自分の勉強が1番ですから💡

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