歴史
中学生

世界史です。
市民社会では国家はどのように運営されてますか?
詳しく教えてくれると有難いです。

回答

市民社会というのを一義的に捉えるのはかなり困難なので、あくまでも世界史として簡潔に答えさせてもらいます。

古来より市民社会というのはありました。古代ギリシアや共和制時代の古代ローマは例としてよくあがると思います。これらは細かなところでは大きく異なりますが、根本は同じで、「奴隷制に基づく戦士らによる政治参加」という形をとり、この最高峰に僭主や元老院がいます。
またこれらの社会には地母神などによる神話が根付いていたために、時折「神託」により決定される事もあります。古代ギリシアではよくありました。アポロンによるデルフォイでの神託やゼウスの雷が有名どころでしょう。
社会の面では上記したように奴隷制に基づかれています。奴隷制といっても奴隷に強制労働をさせていたのではありません。今の家政婦に近い感じで比較的自由ではあったようです。このような奴隷に家事や農業等を任せて、自分は戦いに身を投じたり、政治に参加したりとしていたそうです。

しかし中世になると一変して、領主やそれらをまとめた王の存在により、市民にあった権利などの殆ど(全てと言っていい)が王に集中し、所謂絶対王政の時代に入っていきます。

暫くは何とかなっていたものの、やはり限界が来てしまい、クーデターにより権利の一元性から多元性へ、つまり国家が王政から公共空間に変わりました。フランス革命が有名どころです。
この市民社会は古代ギリシアやローマとは違い、市民全員に個人としての自由な権利を持つことができました。こうして市民として各個人による自由で対等な社会が形成され、やがてそれが国家と結びつき、国民となっていきます。フランスはこの型です。
近代的な市民社会は現代の立憲国家と殆ど変わらず、市民による政治が基本となります。選挙によって選ばれて(この当時は女性の参政権はありません。事実オランプによる女性宣言が出されました)、国家を運営する。これが近代的な市民社会の運用法です。

以上です。

すいません。長くなりました。
つまりは
古代ギリシア、ローマの市民社会は奴隷制による社会で、奴隷を除く市民に参政権があり、その最終決定を僭主や元老院といった王のような人達がやるというものです。

それに対してフランスのような革命後の近代的な市民社会は万民に対して王に集中した権利を与えたというもので、運営方法は今の政治と似ています。

ということです。

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