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故郷(魯迅)のまとめで
魯迅は「故郷」を通して何を願い、何を読者(当時の中国の人)に伝えたかったのか。
また、どのような国を、どのような生活を望んでいたのですか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

故郷の主人公「私」の故郷を離れる時の想いについて。
現在の故郷に絶望しながら、「私」は故郷をあとにする。少年時代、私にとって小英雄だった閏土の面影も薄れてしまっている。私は、せめて若い世代には、身分や生活の苦しさによって互いに隔絶することのない新しい生活を希望する。
しかし、私の希望とは閏土の偶像崇拝と同じようなものと気づく。すぐ手に入るか、そうでないものかの違いだけである。
拝むだけ、願うだけでは実現しない。希望とは、地上の道のようなものである。自分だけで胸の中に保ち信じ続けるものではなく、みんなで持ち、同じ方向に向かってこそ希望が生まれてくるとこの時考えているのだと思う。

これは、魯迅の人生とも深く重なっている。
魯迅は、1881年、清国末期の混乱した時代に生まれた。裕福な家庭で、いわゆる「お坊ちゃん」だったが、11歳の時、高級官僚だった父が投獄されてから没落、人生が激変することとなった。
21歳の時、父親の死がきっかけで医学を学びに当時日露戦争中であった日本へ医学を学びに行った。なぜ日本かといえば、中国には中華思想があり、中国が宇宙の中心で、他の民族は野蛮であると考えられていた。しかし、その中国内外が乱れているので、国を救うために西洋文明を学ぼうと日本へ留学した。
だが、仙台医学学校(現東北大学医学部)に学び、幻燈事件において傍観者的な中国人の精神にショックを受ける。精神改革のためには、医学ではなく文学である!と、文学者としての活動を開始した。
その後、魯迅は帰国した。
1911年、魯迅30歳の時、辛亥革命が起きた。(=故郷の背景になる)
清国による専制政治で民衆の不満が増し、政治が混乱する。そんな中、漢民族による、「我々の民族だけの国家を作りたい!」という意識が芽生え、孫文を指導者とした革命が勃発した。
その後、中華民国が成立した。4000年以上続いた中国王政からの転換により、魯迅は民主的国家になるという期待(=理想)はあったが、現実は真逆で様々な組織が入り乱れ内部対立が激化した。清の残党・匪俗になどが勝手に民衆から税金を取り立てたりと、混乱し、民衆の生活はやはり苦しかった。
魯迅は、中華民国の教育部として招かれたが、実態は軍閥そのもの。
学生の革命を擁護するなどして、政府にも目をつけられつつ、希望を捨てずなかった。反封建・反帝国主義を主張する人物として糾弾されつつも、希望を捨てなかった。

つまり、魯迅は中国が民主的な社会になることを望んでいた。当時の中国人には、そのために、みんなが同じ方向を向き、希望を持って、常に努力し続けるべきなんだと主張していると思う。

かなり長くなって申し訳ありません!
長文ですが読んでいただけたら何よりです。

モブモブ

ありがとうございます!詳しくかかれてあってそのときのじょうきょうとかもあってわかりやすいです!

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