✨ ベストアンサー ✨
延久年間に出された荘園整理令より遡ること二つ前に、寛徳の荘園整理令というものがありまして(覚える必要なし)、この延久の荘園整理令は簡単に言うと、寛徳の荘園整理令以降に出来た荘園は一律不許可にするという内容でした。すると今まで国司の介入を防ぐため藤原摂関家に土地を寄進していた連中が挙って天皇家に寄進し始めるようになるのです。
要は摂関家への寄進だと規制されるが、天皇家、つまり規制を行う側・体制側へ寄進してしまえば、当然利益となる荘園は規制されないので、今まで通り不輸・不入の権を保持する事ができるのです。
そして後三条天皇の後は白河院、つまり院政が開始されます。そしてその後の院は荘園整理を定期的に行い、自分たちに荘園寄進を集中させることになります。
要はマッチポンプです。
天皇家が積極的に荘園整理令を出す→摂関家が領家や本家だと荘園が処分される!まずい!!→多くの荘園が寄進先を天皇家に変える
そしてこの流れには続きがあり、
荘園寄進が天皇家に集中→南都北嶺を中心とする大寺社勢力が僧兵を使い強訴→僧兵の脅威から守るため武士の(主に桓武平氏)積極起用→平氏の台頭
まぁ歴史とは当然因果関係から成り立っているわけですが、こうしてみるとよく出来ているなぁと思わされます笑
ありがとうございます😊