✨ ベストアンサー ✨
郡司層が没落したからですね。
地方行政は主に郡司が担っていたので、郡司が力をなくすと回らなくなりました。
そうですね。
ヤマト政権のころは地方は地方豪族が治めていました。
律令国家になって、律令で地方行政の実務は郡司(元地方豪族)がおこなって、都から派遣された国司がチェックをする仕組みにしました。
戸籍を造ったり、班田収授や徴税などは郡司が指揮していました。
これって、行政のやり方は変わったけど、実質的にはずっと地方豪族が支配していたということなんです。
平安時代になって有力農民や地方に残った元国司などが力をつけたことで、郡司の言うことを聞かなくなって対立したりしました。
新興勢力によって郡司層の支配が行き届かなくなったということですね。
これではまずいということで、受領国司の権限を強くして地方政治は郡司ではなく受領が主にするように変わっていきました。
といっても郡司のようなきめ細かい行政はできなくなって、戸籍も班田もやらなくなりました。
結果、律令の土地や税制は、国司が有力者に丸投げするという負名体制に変わりました。
支配が行き届かなくなったって感じですかね!?!?
なんかわかった気がします!!ありがとうございます!!