回答

4イ
確かに、著名な画僧なんだけど狩野派のような室町幕府の御用絵師という特定の地位についたわけではない 各地の大名とかに招かれてどちらかというと自由な活動印象が強め

そして、雪舟の画風は中国水墨画っていうものを基盤としていて墨の濃淡による表現と力強い描線の表現があるとね 大和絵は日本の風景とか物語を題材として絵の具による鮮やかな色彩 を特徴とする画風です
これが全面に出ることがなくてそういった日本的な要素も取り入れてはいるんだけど それが水墨画の表現の範疇だから 鮮やかな色彩って言う表現が誤っているかなと

そして、雪舟の画風はすごく個性的で独創的だったんだけど特定の流派を組織して多くの追随者を生み出したというよりかは 傑出した才能が孤高に輝いたと評価されるんです
だから、流派を創始したわけではない

5 ウ
吉田兼倶さんは室町時代の神道家で吉田神道を提唱した
彼の思想の中心っていうのは 「日本の神々こそが、根本であり、仏や儒教の思想は日本の神々の現れにすぎない」と言うもので、これを神本仏迹説と呼びます

従来の日本では平安時代以降ですね 本地垂迹説と言う考え方が一般的で 「仏が本体であり、日本の神々は仏が衆生を救うために仮の姿(垂迹)として現れたものである」とする考え方です

選択肢では後半のほうに 本地垂迹説を発展させたとありますけれども 吉田兼倶は本地垂迹説を否定して それとは正反対。真逆の神本仏迹説を提唱したんです
だから そこが決定的な間違いであると言う事ですね

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