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天保の改革が失敗した理由の一つに、水野忠邦が物価上昇の原因を株仲間が営業を独占しているため、としたことがあると思うんですけど、本当の物価上昇の原因はききんによるものだったんですか?ネットで調べたらそう書いてあるのですが、教科書には質の悪い貨幣を使っていたためとあります。そもそも徳川綱吉が貨幣の質を下げた後に新井白石が戻したからなぜ天保の時に貨幣の質が悪いのか分かりません。どこで質の悪い貨幣を使うようになったのでしょうか?また、天保の改革時の物価上昇の理由は何だったのでしょうか?長文失礼いたしました🙇‍♀️誰か解説お願いします。

天保の改革 水野忠邦 株仲間 江戸時代

回答

✨ ベストアンサー ✨

天保の改革が失敗したと言うより株仲間解散令が失敗だった理由ですね。
株仲間解散令失敗の原因
・江戸の物価上昇は株仲間の流通独占にあると水野は考えたものの、実際には流通量の絶対数が激減しており、むしろ解散令によって今まで流通の調整弁の役割を果たしていた株仲間が無くなったことで、流通は混乱状態に陥ってしまったから

・そもそも11代将軍徳川家斉(将軍在籍期間最長の将軍)が大部適当な政治をした時に、品位も量目も減らした粗悪な金貨(金の割合も、そもそもの貨幣サイズも減らした金貨)にまた貨幣を変えたことで一気にインフレが進んだ事により、物価上昇を引き起こしたから
(尚決して悪い側面だけではなく、家斉の時代はインフレなので経済の循環という観点では活発だったため、化政文化のきっかけとも言われる)

因みに天保の改革の直接的な失敗となったのは、上知令の失敗により水野が失脚した事です。

りんご

なるほど〜。めっちゃ詳しくありがとうございます🙇‍♀️

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