現代文
高校生
解決済み

「家族の間柄を標準とする見方はそこには存せぬ。」と書いてあるのに丸2が答えになるのはなぜですか?
(国語ですがこの問は写真のみの段落で完結します。)

最も日常的な現象として、日本人は「家」を「うち」としてハックしている。家の外の世間が「そと」である。そ うしてそ の「うち」においては個人の区別は消滅する。 妻にとっては夫は「うち」 「うち の 「宅」であり、夫にとっては妻は「家 人」 内」である。家族もまた「うちの者」であって、外の者との区別は顕著であるが内部の区別は無視せられる。すなわち「う
ち」としてはまさに「距てなき間柄」としての家族の全体性がハソクせられ、それが「そと」なる世間と距てられるのであ る。このような「うち」と「そと」の区別は、ヨーロッパの言語には見いだすことができない。 室の内外、家の内外を言うこ とはあっても、家族の間柄の内外を言うことはない。日本語のうちそとに対応するほど重大な意味を持つのは、第一に個人 の心の内と外であり、第二に家屋の内外であり、第三に国あるいは町の内外である。すなわち精神と肉体、人生と自然、及び 大きい人間の共同態の対立が主として注意せられるのであって、家族の間柄を標準とする見方はそこには存せぬ。かくてう ・そとの用法は日本の人間の存在の仕方の直接の理解を表現しているといってよい。
のうちから一つ選 問5 傍線部B「日本の人間の存在の仕方の直接の理解」の説明として最も適当なものを、次の①~ べ。 解答番号は 精神と肉体、人生と自然、及び大きい人間の共同態の対立に配慮することなく人間の存在を考えることができるとい う理解。 家の内外を表す際に用いる「うち」 「そと」を家族の間柄の内外でも用いることからも明らかなように家族の間柄の 内外を標準として人間を区別するという理解。 どんな場所においても、つねに変わることなく、夫は「うちの人」であり、妻は「家内」であるという理解。 「うち」において個人の区別が消滅するが、「そと」においては「距てなき間柄」として全体性をハックし、個人の区 別は消滅しないという理解。 「うち」においては個人の区別は存在しないが、「そと」においては家族であっても個人として区別するという理解。 。 C

回答

✨ ベストアンサー ✨

本文の「外の者との区別は顕著であるが内部の区別は無視せられる。」という内容から、
「うち」と「そと」という言葉は、
人間を個人として区別するのでなく、
“内側のグループ”と“外側のグループ”として区別しているとわかります。
また、「家族の間柄を標準とする見方は存せぬ。」とありますが、これはヨーロッパの言語についての事を示しています。
この文の前半を読むと、「日本語のうち・そとに対応するほど重要な意味を持つのは.....。すなわち....であって、家族の間柄を標準とする見方は存せぬ。」とありまして、
これは、ヨーロッパの言語、例えば英語のinとoutには、家族の間柄を示すような単語はないと述べているのです。
したがって②が正解となります。

確かによくよく見たら私が引用した文はヨーロッパの話でしたね(・_・;
ありがとうございます(๑>◡<๑)!

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