歴史
中学生
解決済み

貫高制とはただ土地の広さから収穫高を表した、つまりその土地の生産力には全く触れずに収穫高を表したものなのですか?それともその土地で採れる米をお金に交換して表した、つまり生産力も関わってくるものなのですか?調べたところどちらともの記載がありわからなくなってしまいました。

回答

✨ ベストアンサー ✨

_貫高制も、石高制も、実際の収穫量・収穫高は、考慮していません。
_そもそも、発想が逆です。
_貫高制も、石高制も、封建主義の時代のお話しなので、農民は基本的に土地を所有していません。
_現代社会の様に、土地を所有して税金を払っている、と、言う様な社会での税金とは感覚が違うのです。

_ざっくり、現代社会のイメージは、農民は全員ホームレスです。領主しか土地を持っていません。現代社会で言えば、個人は土地を持てず、地方自治体だけが土地を所有しているのです。
_そして、地方自治体は、ホームレスを自分の土地から追い出そうとしています。
_もしも、定住するならば、毎年、貫高(≒税金)を払え、そしたら、貫高(≒税金)に応じた広さの土地を貸してやる、という、領主と領民との関係です。ですから、賃料に依って借りれる農地の大きさが決まっているのです。
_豊作の時も、凶作の時も、払うお金は、(賃料の改訂がない限り)変わることはありません。

_同じ自治体(領主)であれば、貫高に依って借りれる面積は、原則同じでした。従って、当たり・外れの差が大きく、縁故やら、賄賂やら、の、不公平がある訳です。
_また、違う自治体(領主)であれば、自治体毎に、貫高に依って借りれる面積は変わったりしていました。

_毎年、収穫量が違うのに、それを調べたり、申告させたり、しても、人権費が掛かったり、嘘を付かれたり、そして、只、貸しているだけなので、領主が気に入らなければ、追い出して、別の人に貸すだけなので、どんぶり勘定でやっていたのです。
_それに、この時代、そんなに人口がいませんので、調査員とか派遣出来ません。

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