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遼后族皆姓蕭氏。后妃傳引耶律儼所修實錄,謂其先本乙室拔里氏,太祖慕漢高祖,故稱劉氏,以乙室拔里比蕭相國,遂為蕭氏。又謂太祖述律后兄子名蕭翰妹復為太宗皇后,故后族皆以蕭爲姓云。是實録以后族姓蕭為太祖所賜,而國語解謂其說不合,故陳大任不取。  

書き下し文と現代語訳教えてくださいよ

漢文

回答

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書き下し文:
遼の後族は皆、蕭氏と姓を称している。『后妃伝』によれば、彼らの先祖はもともと乙室拔里氏であり、太祖が漢の高祖に憧れたため、劉氏と称した。乙室拔里は蕭相国に比べていたため、結局蕭氏となった。また、太祖の従兄弟の子である蕭翰と妹は後に太宗皇后となったため、後族は皆、蕭を姓とするようになったという。この『后妃伝』によれば、後族の蕭姓は太祖に与えられたものであり、しかし『国語解』にはこの説が合わないとされ、したがって陳大任はそれを採用しなかった。

現代語訳:
遼の後族は全て蕭という姓を持っています。『后妃伝』という文献によれば、彼らの先祖は元々乙室拔里氏という姓であり、太祖が漢の高祖に感銘を受けたため、劉氏という姓を名乗るようになりました。乙室拔里は蕭相国に比べていたため、結局蕭氏となったのです。また、太祖の従兄弟の子である蕭翰と彼の妹は後に太宗皇后となったため、それ以降、後族は皆、蕭という姓を名乗るようになったとされています。この『后妃伝』によれば、後族の蕭姓は太祖によって与えられたものですが、しかし『国語解釈』ではこの説明は矛盾しているとして、陳大任はこの説を受け入れなかった。

です。

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