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1974年に、板垣退助らが明治政府に「民撰議院設立の建白書」を提出したのが、全ての始まりです。
これをきっかけにして、全国の国民が、「民を政治に参加させろ!」って言って、自由民権運動を始めました。
実はこれ以前にも、国民を政治に参加させようという動きはあったのですが、この動きに参加したのは一部の知識人でした。そのため明治政府はこれを無視していたのですが、一方で自由民権運動には農民も多く参加したため、運動が圧倒的に活発になりました。そのため明治政府もこの運動を無視できなくなり、結果として、天皇が国会の設立を約束した形です。
長くなりましたが、要約すると「政府に民撰議院設立の建白書が提出されたことをきっかけに、自由民権運動が全国に広まったこと」となります。
分かりやすい説明ありがとうございます!
回答者様のおかげで流れを理解することが出来ました!