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高校生
解決済み

中国の経済についての質問です
「東北地方に多数の国営企業が設立」
「人民公社の解体」「郷鎮企業の成長」
この3つの時系列やつながりがわかりません、、
良ければ教えていただけないでしょうか🙇🏻‍♀️

地理総合 地理 中国

回答

✨ ベストアンサー ✨

_用語は理解しているのでしょうか?
_「人民公社」と「郷鎮企業」とは、どういったものなのでしょうか?
_回答がありましたら、解説します。用語が分からなければ、用語で説明しても、誤解しか産まれません。
_また、用語がわかれば、少なくとも、「人民公社の解体」と「郷鎮企業の成長」との時系列は分かります。

ぽぽ

丁寧にありがとうございます🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️
郷鎮企業については教科書に記述がありましたので、
「村や町もしくは個人で経営している企業」
という認識をしております。
人民公社については授業間に
「生産責任制導入前に農民たちが
人民公社のもとで集団農業を行っていた」
と教わりました。この程度の知識でも大丈夫でしょうか、、

ぺんぎん

_間違ってはいないけれども、一番大切なことが抜けています。
_と言うか、「生産責任制導入前に農民たちが人民公社のもとで集団農業を行っていた」とか、「村や町もしくは個人で経営している企業」とか、本当にその意味を理解しているのか、心配です。言葉を丸暗記しよう、としていませんか?

_人民公社を壊して、作り直したのが、郷鎮企業なのです。
_ですから、それだけ分かっていれば、この2つの時系列は間違え様がありません。
_それから、邪道ですが、全く知識がなくても、中国が時期か新しくなる程に資本主義的経済を取り入れていることは分かっているでしょうから、「公社」と「企業」と、では、公社の方が古い、と見当が付けられます。

_話しは、変わりますが、何故、「東北地方に多数の国営企業」ができたのでしょうか?
_(それから、東北地方と、言うと、日本の東北地方と混同しますので、東北部と言うことの方が多いです。拘りがなければ、東北部を使いましょう。間違いではないので、東北地方を使ってもいいですが、誤解を産みにくい方がコミュニケーションを取りやすいです。)
_中国の東北部は、概ね、満州国があった地域と一致しています。
_多くは、日本の資本で満州国時代に作られた工場を接収して、それが、後の国営企業になったのです。だから、初期の国営企業が東北部に多いのです。

ぽぽ

なるほど!!細かい部分までありがとうございます、、!
自分の理解力が足りないばかりに
お時間をとらせてしまい申し訳ありません🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

ぺんぎん

_中華人民共和国の経済史を考える時、大きく2つに分ける事が出来ます。
_1978年の鄧小平政権の改革開放政策以前・以降です。
_そして、1949年の中華人民共和国の成立〜1977年までは、大体3つの時期に分ける事が出来ます。
_①、1949年から1953年7月にかけての「新民主主義の経済」。
_②、1953年8月から1956年にかけてのいわゆる「過渡期総路線」。
_③、1956年から1978年にかけての「社会主義計画経済」。
_この間に、中華人民共和国に於ける、会社(企業)の概念も変わって行きます。
_①の「“新民主主義の経済」においては民族資産階級の資本主義私営企業が認められていました。
_②の 「過渡期総路線」においては私営企業が公私合営企業に、また公私合営企業が全人民所有制企業(「国営企業」)に改造されました。ですから、「東北地方に多数の国営企業が設立」は、この時期です。
_③の「 社会主義計画経済」においては生産手段の完全な公有制を基礎とする全人民所有制企業と集体所有制企業のみが存在しました。「人民公社」があったのは、この時期です。
_そして、鄧小平政権の1979年に「公民公社」が解体され、「郷鎮企業」ができました。以後は、香港・澳門・台湾を含む外資系の企業が出現し、私営企業制が導入され、さらに国有企業および集体企業などにおける改革がなされ、各企業が発展していきました。

ぽぽ

本当に丁寧にありがとうございます😭✨
とてもたすかりました、、、

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