✨ ベストアンサー ✨
別人物です。白河院は院政を始めた人物、白河院の息子に堀川、その息子に鳥羽、その息子が後白河です。後がつく天皇は多発しますので注意しましょう。
承久の乱を起こした人物は後鳥羽ですし、建武の新政を始めるのは後醍醐、明徳の和約時の南朝の天皇は後亀山、北朝は後小松です。
何で後を付けるかという話ですが、基本的に天皇の名前は死後付けられるものです。本来天皇の名前は奈良時代以降はゆかりのある土地がつけられます。(白河、鳥羽、堀川、醍醐等々の天皇は京都に同じ地名がある)(奈良時代以前は中国風の名前が一般的)
ただ、「同じ土地にゆかりがあっても2人目からは付けられないじゃん!せや!!後って付ければええやろ」って事らしいです。
勿論例外はいます。後醍醐は天皇親政を行った醍醐に憧れて、俺は後醍醐だ!と自ら名乗ったとされています。
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