鎌倉時代の御家人窮乏の原因は幾つかあります。元寇もその一つの要因ですが、代表的なのは分割相続による一人一人の土地の縮小化でしょう。当時は惣領制という一族の長の下に庶子家、惣領家共に纏まっていましたが、鎌倉時代も半ばになると土地の分化が起こり、とてもじゃないけど食っていけない御家人も出たりするわけです。これが永仁の徳政令発布の原因の一つでもあります。なので元寇後は分割相続から単独相続へと移行していきます。そしてある意味省かれる形になった庶子家と惣領家で対立関係が起き、これが南北朝の動乱の原因にもなったりします。
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