✨ ベストアンサー ✨
現代にかけていうと、
御家人が借金返済のために土地を売ったことにより、もっと生活苦しくなったのを見た幕府はこれはやばいぞと思って出した法が徳政令であって、徳政令はその借金返済のために売った土地を無料で返したあげるよ。ということです!
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現代にかけていうと、
御家人が借金返済のために土地を売ったことにより、もっと生活苦しくなったのを見た幕府はこれはやばいぞと思って出した法が徳政令であって、徳政令はその借金返済のために売った土地を無料で返したあげるよ。ということです!
中世初期の土地相続の仕方は分割相続でした。嫡子(その家を継ぐ人物)、庶子(嫡子以外の子供)関係なく親父から土地を相続できました。
ただ、こうして相続を続けていくと、世代を経るごとに一人一人の土地がどんどん小さくなっていきますから、やがて生活が成り立たないような御家人も出てくる訳です。んでそうした御家人は借金をしたりするのですが、当然借金を返せるわけもなく、抵当にしていた土地を借金の代わりに取られてしまう事になります。
ただそんな事が多発すると幕府は困るので、徳政令、この徳政令を特に「永仁の徳政令」と呼びますが、こいつの内容は
凡下の輩即ち御家人以外のパンピーが買い取ったり質入れされた土地はどれだけ期限が経っていようと御家人返却すること、という内容と、
御家人に売却した土地であっても、今までの慣例通り20年までは元の所有者に返すべしと言う内容です。
そして重要なのは結果もです。
結果的に一時的に御家人は救済されたものの、対処療法的なものに過ぎず、また「再度徳政令を出されたらやばい!」と金貸し達は御家人に金を貸すのを渋り、余計に御家人の生活は窮迫したと言う事です。
更にこの時期には惣領制(一族の長をある種の親分的なものと見なす)が解体され、中世初期に見られた嫡子、庶子関係なく土地を相続するのではく、嫡子単独相続の時代が到来し、惣領家と庶子家で対立が発生、それが南北朝の動乱に繋がったと言うことまで抑えておけばもはや大学受験でも敵なしです。
細かく説明してくれてありがとございます!!🙇
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わかりやすくありがとうございます!🙇