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周の東遷後の春秋戦国時代に孔子から始まった儒教では、中国が統一されていた西周の時代を理想国家として考えます。西周の統治は400年間と長く安定しており、孔子はその理由を王の徳が高く、社会が国家のもとに団結できたからだと主張しました。その真偽はさておき、中国史に大きな影響を与える思想の創始者が西周を賛美していたわけですから、たびたび西周を理想として復古政策をしようとする人物が現れたのです。
しかし、共産主義はそういった過去の中華王朝の歴史を封建社会の歴史として否定します。特に封建制を確立し、階級社会を固定化した西周は、文革派にとっては負の歴史です。そこで文革派は、偶然にもライバルである周恩来の名前に「周」の字が入っていたので、周代の「負の歴史」をあげつらって周恩来批判に結びつけたのです。