歴史
中学生

建武の新政が崩れた理由で、公家を優遇する政治を行い…ってネットに書いてたんですけど。公家を優遇ってどういう意味ですか?分かりやすく教えてください

回答

かんたんに言ってしまえば、「官職や所領(土地)を、武士ではなく、公家の人たち優先に与えた」ということです。

鎌倉幕府が滅んだことで後醍醐天皇による建武の新政が始まりますが、この政治の特徴は、それまでの武士による政治ではなく、天皇(朝廷)中心の政治を行ったことにあります。

「平安時代→鎌倉時代→建武の新政」の時代の流れの中で、為政者(政治を行う人)は「皇族・公家→武士→皇族・公家」と変化していきました。

かつて大きな所領を持っていた公家たちは、100年以上続いた武家政権の時代(鎌倉時代)のなかで、少しずつ所領を減らし、影響力を弱めていきました。そうした中で訪れた天皇中心の時代に、後醍醐はかつてあった公家たちの力を取り戻そうと考えました。
このため、討幕に功績があった武士ではなく、「公家優先」に恩賞を与える(昔の所領を復活させるとか...)などの政策を進めました。

ですが、鎌倉幕府を滅ぼす大きな力となったのは御家人たちの力であり、また100年以上武士による政治が続いた結果、公家たちには政治を行う能力も低下していたと考えられています。
こうした矛盾が重なり、後醍醐天皇の建武の新政はあっという間に崩れていきました。

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?