歴史
中学生

ここ間違ってるらしーんですけど、分かる人いませんかぁー?
見にくくてすいません

4 次の文章を完成し、設問にも答えよ。 (109~110、113~114. 巻末1) 第一次世界大戦にイギリス側に立て参戦した日本は、現、成立したばかりの中産 民国に対して 要求を承認させた 後、立した北京 外交方針を国際協調路線とし、大戦後に開かれたワシントン の保有制限を定める3ケ縮条約などが結ばれた。 この外交方針は 外務大臣 原喜重郎内に継承され、1928年の や1930年のロンドン海軍 条約] 軍縮条約の締結につながった。 ■中華民国では二十一条要求に反対する運動とともに、軍閥政府に対抗しようとする動 があった。孫文は[中国国民売] を結成して広東に新政府を樹立するとともにソ連や 中国共生 党]との協力による軍閥政府打倒をめざした。孫文の後に中国国民党の中心 なった[ は北伐による軍閥打倒と中国共産党排除をめざした。 ] ドイツでは共和政の下で[ヴァイマル・憲法]が制定された。しかし、巨額の賠償金3 いが負担となって、 ドイツ経済はb深刻なインフレーションに見舞われた。シュトレー マンは[首相 となってレンテンマルクを発行してインフレを収拾し、[概 って協調外交を進めた。
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回答

大隈重信じゃない?嫌がらせ問題集だと第二次大隈重信内閣って書くよ(嫌がらせじゃないやつは大隈重信だけ)

こゆ

そーなんかなぁ?
ありがとう!!✨✨

Pクレゾール

高橋是清内閣では?WW Iの参戦を決めたのは確かに第二次大隈重信内閣ですが、ワシントン会議開催時の内閣は高橋是清内閣です。

ただその後って言い方が曖昧過ぎて、いまいち分かりませんね…大隈の後は寺内正毅、原敬、高橋是清の順番ですから…

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