回答

イギリスは清から主に茶を輸入し、その対価として銀を支払っていたので、イギリスの銀がひたすら清に流出し続けていた。ここまではお分かりだと思います。
19世紀前半はまだ重商主義が幅を利かせていた時代です。銀の流出による貿易赤字を不満に思ったイギリスは、これを解消しようとアジア三角貿易を思いつきます。
この貿易では、インドから密貿易で清にアヘンを輸出し、その対価としてインドが清から銀を受け取ります。そして、このインドに対してイギリスが綿製品を輸出して銀を受け取ります。そしてイギリスは、このインドからもらった銀を清に支払って茶を買う。このループです。
こうすることで、イギリスが清に対して茶の代金として支払った銀がインドを経由して還流するようになり、茶を輸入してもイギリスの銀保有額が減らない体制を構築したのです。一方で、清の国内ではアヘン依存が蔓延したほか、銀が流出して経済も不安定化し、アヘンの密貿易を摘発する必要に迫られます。そうしてアヘン戦争に発展したのです。

商品の流れ
イギリス⇒(綿織物)⇒インド⇒(アヘン)⇒清⇒(茶)⇒イギリス

銀の流れ
イギリス⇒清⇒インド⇒イギリス

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