✨ ベストアンサー ✨
ボリシェヴィキとエスエルはちょっと思想が違って、ボリシェヴィキのほうがプロレタリア的で集権的です。
臨時政府の首班になったケレンスキーは、連合国の支持を得るため戦争を続けるわけですが、実際このときは、大体の勢力が戦争継続派でした。レーニンが帰ってくるとボリシェヴィキは即時講和を主張し、さらに「すべての権力をソヴィエトへ」すなわち臨時政府打倒をも主張し始めたので当然弾圧されました。
その後ケレンスキードイツに攻勢をかけますが直ぐに反撃され、それとボリシェヴィキの弾圧によって保守革新両方の層から支持を失います。
ボリシェヴィキとエスエル左派が掲げる即時講和はむしろ異質だったということです(私の知識不足だろうと思いますがケレンスキーが即時講和派で渋々...というイメージはあまりないです)
ケレンスキー自身は即時講和!って訳でもなかったのですね。ありがとうございました🙏🏻
ケレンスキーも理想としては即時講和を求めていたけど当時のロシアの風潮や首班となり他国との関係維持も考えた上で戦争継続路線を取った感じでしょうか。かなり前の質問に答えてくださりありがとうございます🙇🏻♀️´-