歴史
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解決済み

至急です॑⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*

保元の乱と平治の乱とは何のことでしょうか??

簡単に教えて下さい🙏🏻💭

回答

✨ ベストアンサー ✨

これもまーた長くなります。
別の回答で天皇の即位順を少し上げましたが、
白河、堀川、鳥羽、崇徳、近衛、後白河…と天皇は続いていくわけですが、鳥羽天皇の時代から説明しましょう。

鳥羽天皇の妃の1人で崇徳の母親にあたる人物は鳥羽の祖父にあたる白河の養子でした。都でも評判の美人で鳥羽の妃になるのですが、白河と養父と娘のはずが、どうやら男と女の関係になっているという噂が流れたそうです。そして鳥羽と結婚したのにも関わらず、毎晩のように白河の元に通っていくのです。そして崇徳を妊娠します。鳥羽天皇は崇徳は俺の子供ではなく、祖父さんの子供だと不信感を抱き崇徳のことを叔父子と呼びいじめます。(上記の話自体信憑性は非常に薄いので噂話程度としてお聞きください)

しかし白河存命の時は安泰でした。白河が院政を行なっていたからです。崇徳は白河の庇護のもと5歳で天皇に即位します。しかし白河が崩御し、堀川も早くに亡くなっていたため、鳥羽上皇が院政をすることになると立場は変わります。崇徳は天皇を辞めさせられて、上皇になり、異母兄弟である近衛が天皇になります。そして近衛も早々に死去すると今度は同母兄弟の後白河に天皇位が移るわけです。
そして時がたち鳥羽院も崩御します。ここで崇徳は自分の不遇なる人生を変えるには院政をするんだと思います。院政は天皇家家長ができますが、ライバルは後白河です。自分の息子を天皇に据えれば、自分が天皇家家長になれるので、後白河を排除しようとします。そして起きたのが「保元の乱」です。天皇家家長の座と、藤原氏の氏長者争いに源氏と平氏などの武士団が大規模導入されます。武士団がこうした大規模に争うというはじめての出来事です。
結果崇徳は敗れて流されます。この理由から崇徳は日本三代怨霊の1人とも言われています。

平治の乱はその3年後、保元の乱勝者側の後白河に与した源氏と平氏が権力闘争を起こして争いを起こし、平清盛率いる平家方が勝利を収め、源氏は敗れて東国でひっそりと住むことになります。

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