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実際はそうです
でも、義経を捉えるというのは民衆(地元の人)の人気を上げるのにいいことです
理由は、関東一帯は天皇を嫌ってました(税を取ったから)。義経は天皇から位を壇ノ浦の後の帰りの途中でもらいます。そのぐらいに頼朝は天皇に関係のある人は関東に入っちゃダメだし入ろうとしたら処罰するというルールを出しました。
でも、天皇から位をもらちゃったから関係ができて関係のある人を捕まえて処罰したといなれば民衆が喜ぶ
しかも、身内にも容赦がないということを民衆や御家人に示すことが出来ます
いろんな意味で利用されたということです

Pクレゾール

この指摘は些か史料を無視してる気がします。義経が天皇から位を貰い、それを罰すると民衆が喜ぶとありますが、実際のところ頼朝は義経以外の勝手に位を貰った連中複数に送った手紙でボロカスに罵っています。それと義経が官位をもらった時期も少し違います。屋島の戦いの前のことです。利用されたは事実ですが、敢えてそうしたとは言い切れません。

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そこまでいってしまうともはや歴史学会で検証されるレベルなので難しい話ですが、頼朝の政治力を考えるとそれをうまく利用した可能性もあるでしょう。しかし日本大学教授である関幸彦氏の言葉を借りるなら、全国統一に必須な奥州の征討の為に義経を利用したというのはあまりに結果論であり、あくまでも守護地頭設置段階の1185年時点では義経と奥州は警戒の対象でもあり、義経と奥州の結合は回避したい事実であったに違いない。との趣旨を述べられているので、あくまでもそれは結果論に過ぎないのではないでしょうか。鎌倉時代の一級史料である吾妻鏡にもあくまで守護・地頭の設置は、【義経の情報が出るたびに兵を派遣するのは国の費だし、人々の煩いであるから今すぐに設置すべき】との内容がありますから義経追討の為で構わないと思います。

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