✨ ベストアンサー ✨
このときの鎌倉幕府は執権政治で北条氏が政治を支配していました(ここまでは分かるはず…)
北条氏のなかにも、いろいろな種族があって、
普段は、北条氏同士で時間をかけて話し合っていろいろ政治を決めてたのですが、
元が攻めてくるとなると緊急時で時間がなかったので、一時的に北条氏のなかでも特に力があった
『 得宗家』というところが政治をするようになりました
しかし、元から国を守れたあとに御家人が幕府に褒美を求めたのですが、褒美をあげれなかったので、御家人たちの反感を買いました
幕府はこれに対応するために、
『 徳政令』(御家人たちの借金を0にする)
を出したのですが、御家人にお金を貸していた人たちが、
「お金を貸したら、損するからもうお金を貸さない!」
となって結果、御家人たちがどんどん貧しくなったので
反感を買って、鎌倉幕府滅亡の始まりとなりました
よく分かりました!!ありがとうございます✨
褒美(御恩)を与えられなかったのは、
元に勝てても土地を得られなかったため、あげる土地がなかったのが原因です
(このころは、褒美=土地だから)