質問
中学生

校則って、意味ありますか?

回答

個々の内容は別として、効率よく学校を運営するには必要です(意味があります)。

学校というのは、効率よく教育させるために作られた物ですから、効率化を図る為にルールは必要です。
ただ、効率化を図る=学校の先生が楽をすると言うことだから、生徒から見て、不条理なこともあるでしょうね。
さらに、ルールを変えるのも手続きとか面倒くさいので、時代に合っていなくてもそのまま放置されている事もありえます。

Q:具体的にどんな校則が気になるのですか?

学校は産業革命の時代の組織だから、IT革命の時代の現在には合致していません。
ここが、学校が抱える大きな問題なのです。
時代(技術革新)に合っていないと言うことは、幕末で例にあげると佐幕派のようなものだし、太平洋戦争で言うと、空母機動艦隊(航空機による雷撃)の時代なのに、大艦巨砲主義の延長で、沖縄救援のために戦艦大和の艦隊特攻するような物です。

映画:男達の大和の最後の戦闘シーンって本当に滑稽なんですよね。
今の学校って、あんな感じなんですよね。

必死に戦っているのはわかるけど、急造の対空陣地で、弾薬を敵の攻撃にさらされる甲板を走り回って補充している。
本来計画的に作られた最初からある対空砲では、艦内から安全に半自動で給弾出来ている。
雷撃機パイロットも生きるか死ぬかの必死なんで、必死なのは日米共通なんですけど、時代(技術革新)に合っていない戦い方をしている分、日本側が悲壮ですね。
男たちの大和 戦闘シーン
https://www.youtube.com/watch?v=Oi9K3bGVEH0

ちなみに、世界に先がけ空母機動艦隊(航空機による戦艦撃沈)という、大艦巨砲主義の時代に終わりを告げたのも日本なのだが、最後まで大艦巨砲主義という古い考えをして切れなかったのも日本なんですよね。

技術革新 it革命 産業革命 義務教育
👼あちゃ👼

また会うとは。
ひふみさんのフォロー中の中のyuikaって人です。
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まず私は校則は要らない思っています。

私の考えをつらつら書かさせてください。

なぜ校則で髪色、髪型などを規定するのか。

その校則の発生時に、問題のある生徒を管理するルールがなかったからだと思います。

そうすることで、当時の生徒を管理しやすくしたのです。校則は誰と誰の間に結ばれたものなのか、その性格が、ここからも見えます。

これは、社会と学校や教師が結んだ約束であって、生徒と教師が結んだ約束ではないと言えます。

つまり社会がこれを問題と思わなければ、誰もこれを問題視しません。逆にどうでもいいことを問題視すれば、例えば、学生服の下にパンツを履くことを大人が問題視すれば、それが校則に反映されます。

故に校則の項目が産まれたとき、そこには、地域の大人による「問題視」が必ず入ってきます。

そして教師は、その約束を守らせる立場をとり続けることになります。何故なら、生徒の将来を管理することが彼らの役割だからです。たくさん勉強させ、いい学校に合格させ、いい就職をすることが、生徒の幸せです(ク○社会だ)。その環境を整えさせる規定が校則なのです。なのでそれさえ守らせておけば、最低限の評価は得られます。

なので、ハーフの子供が入学したら「金髪は黒く染めろ」「アフロはストレートにしろ」「地毛は生まれつきの証明ができなければ地毛ではない」という、日本から出たことないのかこいつらは的なものが残り続けます。

と、考えます。

服装や髪型などファッションを校則で規定する必要性が分かりません。

理屈は分かるんですよ。

同じ服装、同じ髪型にすることは、メリットがあります。同じ格好に統一しておくことで、生徒の生活態度のちょっとした変化にも、先生方が気が付きやすくなります。先生としては生徒が一つの「型」にはまってくれないと、取り扱いが大変です。型にはめるとマルっと生徒全体をひとくくりにして、ひとつの指導方法で片付けられるので、楽ですよね。これは分かります。ですけども、どうも私は納得がいかんのです。

どこかの学校が、ともかく派手な格好・奇抜な髪型を校則にしてくれないかなと思うんですよね。その場合の校則違反は地味な格好です。来る子がいなくなるかな。いや、そういう学校ありますね。音楽系・ファッション系の専門学校はけっこうそういう格好の子がいます。でも、ちゃんと社会人になります。みんな就職活動するときは、きちんとした格好をするんですよね。

こう考えると、地味で清潔な服装や髪型を校則として規定しているのは、わざと反発心を起こさせて大人への反抗を体験させるための遠謀深慮なシステムなのかもしれませんよ。いっそそういうシステムだと先生方も学生もわかっていれば、思った以上に校則違反はなくなるように思いますね。でも、かっこいい格好・かわいい格好ってしてみたいじゃないですか。最近は小学生でもメイクしてる子いますし。そもそも私服も幼時からおしゃれです。

ひふみ

お久しぶりです。
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Q:アカウントの元になるメールアドも変えたって感じですかね。

【本題】
ふむふむ、そういう考えですな。
「主体的・対話的深い学び」として、OKだと思います。
私のコメントは、反論とかではなく、追加情報程度に認識して下さいな。


結局、学校の先生の認識より、(中学生や中学校はこうあって欲しいという)外部の認識とか、しつけとかを学校に丸投げする保護者とか、屁理屈を言う生徒対策とか、いろんな思惑で、校則が出来るのですよね。

組織は、型がないといけません。
その型に文句を言う生徒・保護者(屁理屈をこねて従わない生徒・保護者)対策に、型の徹底をする時(せざるおえなくなった時)に、校則が硬直化して、ヘンテコな矛盾をはらむんですよね。

その生徒の自己責任だけでOKなら、校則なんていらないですよね。
彼らが、茶髪ピアスしたいのであれば、そのカッコで、受験をして、落ちてくれば良いだけだからね。
とは言え、進路指導をする加減、落ちたのは自己責任と冷たくするわけ行かないのが中学校ですからね。先生は大変だ。


ただ、内心が外見に出てくるので、勉学に集中出来ない内心が、外見に出てくる。
型から始めるのは、間違いじゃない。
得に、次元の低い話ですが、そういう次元からしていかないといけない場合もあるのも事実です。


勉強が出来れば、自信がつくし、個性が出てきます。
勉強が出来ないから(勉強に集中出来ないから)、自信も出来ず、個性もないから、外見で自分を表現しなくてはならない。
勉強のできる生徒が黒髪だから、茶髪は個性になりますが、かしこい生徒が茶髪にしたら、茶髪しか取り柄のない生徒は、基準が同じになるので、また、没個性になります。
そうなると、次は、ピアスをあけるとかになるのですが、これまた、できる生徒がピアスをあけ出せば、ピアスの数とか、穴の場所で張り合わなくてはなりません。

校則は、校則を破ることでしか個性を表現出来ない生徒が、安っぽいとは言っても、唯一個性を発揮出来る場所でもあります。
校則がなくなれば、彼らの安住の場所がなくなるのも事実なんです。


2000年の00年代ごろ、勃興してきたITベンチャー企業が、背広ネクタイではなく、Tシャツジーンズのカッコだったことに、当時の大人は理解出来ませんでした。そして、背広ネクタイの既存の大企業が没落していきます。
学校は産業革命の時代の産物であり、既存の大企業も、産業革命と学校教育と同じ線上にあります。
本来の本質では、服装はあまりその人の本質じゃない。でも、前述の②も真理なり。

長文になるので、これくらいにしておきます。

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