11~13世紀は、群雄割拠状態で、中央集権がなされていない時代でした。王が貴族を支配する力が弱かったんです。なぜかというと強力な軍隊を持っていなかったからです。王自身も所詮、有力貴族でしかないからです。なので、有事の際には団結して戦うために封建的主従関係を結んだのです。 ここまでで分かると気づくと思うのですが、実は貴族とは、騎士であり、領主だったのです。同様に王も騎士を先導するリーダーであり、領主であったのです。イメージとしては中国のインに見られる邑制国家のようはもので、荘園を基本単位とする連合体のようなものだったのです。
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①領主は「国王に忠誠を誓い、従士となる」対価?として「不輸不入権を与えられた」ということですか?
②本当は 邑→大邑→邑制国家 のように
( 国王の力も) 大きくしたかった。
しかし、不輸不入権の拡大は 反対の結果を及ぼしてしまった ということですか?
間違いがないか 確認させてください…(>_<)