✨ ベストアンサー ✨
まず順を追って説明すると、
9世紀末にカロリング朝が断絶してイタリア王位をめぐる争いと同時に北からマジャール人、南からイスラーム勢力の侵入にあって軍事的な支援を必要としていました。この時、イタリア遠征によりこれらを排除したのがオットー1世だったのです。この功績から教皇ヨハネス12世はローマ帝国の帝冠を彼に授け新たな守護者としました。これを機にイタリア政策を進めていくことになります。イタリア政策は帝国教会政策とイタリア支配の二面性を持っており、異民族の侵入阻止をするとともに支配を着実に進めていくというものでした。なのでイタリア国内はこの皇帝支配に賛成派のギベリンと反対派のゲルフとに分かれるかたちとなりました。主な反対派はロンヴァルディア同盟を中心とする大都市で、賛成派は大都市に敵対する諸侯や領主たちでした。
さっきも答えてもらいましたね…!
ありがとうございます😊