17世紀後半からのフランスでは, 国王が政治
権力の全てをにぎり, 議会を開かずに国を治
はいい
フランスの
絶対王政
しょけい
の軍事力を強化し、 また絵済を統制するなど, 戦争を推める
ひん
へい
ウp277
ぜったいおうせい
めんぜい
ヘんこう
ぶ
Sp279
かつやく
7
2
が主にになっていました。
5
18世紀のフランスは、 イギリスと戦争を続け, このため財政赤
字をかかえながらも。 有効な対策を採れずにいました。その一方
こうてい
p.278
Sp277
で、フランスの政治と社会を批判する啓蒙思想は, 弾圧を受けな
がらも,一部の貴族や平民に支持されていました。
だんあつ
けいもう
p276
→p.145
8
Oロナ
もと
アルコ
p.281
める民法(ナポレオン法典)を制定しました。ナポレオンはイギリ
しえん
こうした中,アメリカ独立戦争を支援した曲
費の支払いのために, 1789年に国王が第一。
姿を
p277
10
ド筆
フランス革命
スも従わせようとし,各国にイギリスとの貿易を禁じました。し
しはら
かいさい
第二身分にも課税しようとして議会(三部会)を開催すると, パリ
でも地方でも人々が立ち上がり, フランス革命が始まりました。
三部会の平民議員たちは新たに国民議会を作り,身分の特権を廃5
いはん
かし,これに違反したロシアに攻めこんで敗れ,さらにフランス
大
西
かくめい346
の支配に反対する各地のナショナリズムの高まりによって敗戦を
はい
→p.280
続け,ナポレオンの支配は1815年に終わりました。
Sp.277
止し,人間の自由と平等, 国民主権, 言論の自由, 私有財産の不
p.278
その後のフランスでは, 再び革命が起こるなど政治的に不安定
15
Sp.277
か しん
じんけんせんげん 5
こくせき
可侵などを唱える人権宣言を発表しました。
な時期が続きますが, フランス革命は生まれや国籍を問わず,啓
かんしょう
もと
ふへん
しかし,革命の広がりをおそれる周囲の国々が軍を送って干渉
蒙思想に基づいて普遍的な人権を理想にかかげる革命だったので、
よくあつ
したため,戦争が始まりました。フランスの革命政府は, 敵国へ
のを, のはの約90%を第三身分(平民)
めていた(王政)。, 言論は規制され, 身分貧
富の差は, 第一(聖職者)と第二身分(貴費族)は免税など
世界中の抑圧に苦しむ人々に希望をあたえました。
この見開きの時期
げましょ
イメージです笑
暗くて見ずらいです