✨ ベストアンサー ✨
簡単に言えば、鎌倉幕府は、封建制度によって支えられており、御家人が主人に仕え(いわゆる奉公)、幕府がその恩賞として、御家人の土地を保護したり、新たに土地を与えたりします(いわゆる御恩)。しかし、幕府は1274年と1281年の二度にわたる元寇に御家人を動員しましたが、ここで問題が生じました。御家人は立派に奉公を果たしたのに、幕府は与える御恩がないのです。なぜなら、それまでの御恩は戦った相手の領地を没収して、それを御家人に分配していたのですが、今回の元寇は海外からの攻撃への防衛戦だったので、奪える領地がなかったのです。御恩がなかったので、当然これに動員された御家人は困窮します。そこで、幕府は永仁の徳政令(1297)を出し、御家人が動員された際に武器などを整えるために借りたお金(要は借金)を、無くすように命令しますが、ここでもまた問題が生じます。武士が今の時点で借りているお金を返さなくてよいという命令が一度出さされたために、再びそのような命令を出すことを恐れて、誰も武士にお金を貸さなくなったのです。そうすれば、当然武士はさらに困窮し、安易な政策を行った幕府に対しての不満を高めるわけです。そして、そこにかねてより、天皇親政を狙っていた後醍醐天皇が目をつけ、「みんな幕府嫌いやろ?もう幕府滅亡させて、もう一度天皇の政治にしようぜ」と全国に呼びかけて、幕府は滅亡しました。
いえいえ、頑張ってください
長文ありがとうございます!!