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第一次世界大戦におけるドイツの「背後からの一突き」がどのようなものなのか分かりません。
ドイツ国民が裏切ったということでしょうか?
分かりやすく説明してくれるとありがたいです💦

第一次世界大戦 ドイツ 軍事

回答

✨ ベストアンサー ✨

国内にいたユダヤ人の戦争妨害があったという事を言っているセリフです。
しかし、これは?な部分もあります。
本当に、それが原因でドイツは敗戦したのか?なんですよね。

ドイツ軍は、最初頃東部先生で国内が戦場になったが、その後は全部敵地に戦線を構築していました。
だから、軍が負けている感覚が当時のドイツには無かった。そもそも、それ以前の戦争は全て勝っていたので、常勝ドイツ軍のイメージが強かった。
でも、負けたとなると、何か理由がある。無いわけが無いと言う考え方と、敗戦の理由を軍や政治にしたくない人もいるわけです。この二つ理由もあって、「背後からの一突き」がまことしやかに語られるようになりました。

Q:海猫さんは、ドイツが本当に負けた理由は何だと思いますか?

そもそも、軍事(戦略、戦術)において、外線と内線と言う概念があって、それぞれに、一長一短あるので、ケースバイケースですが、
ドイツは、地政学的に内線状態になります。さらに、ヨーロッパでは、イギリスだけが海洋国家で、あとは陸軍国家です。(スペインは昔海洋国家だったが、イギリスに負けてから、イギリスが唯一の海洋国家)
WWⅠは総力戦で、資源を持っていた方が有利であり、広い世界とつながれる外線の方が有利になります。ドイツはドイツ国内の資源しか使えないからです。
事実、フランスやイギリス軍(兵士)には、この戦争を続けていたら、ドイツが人的に物的資源を使い果たすので、いずれ勝つという風潮がありました。とはいえ、そこまで、英仏も相当の消耗戦をすると言う前提ですけどね。
そう言った、技術革新による戦争の変移や地政学的なこともあり、ドイツは負けました。

しかし、そう言った地政学や戦争の変質を一般人は理解できませんし、安易な情緒的なお話しが一人歩きします。
敗戦によるその後の戦後のドイツの混乱や、WWⅠや戦間期の時期に思春期を過ごした若者の間には、強いドイツの再来を憧れる者も出てきます。
その時、軍や政治の失政より、影でユダヤ人が・・と言う話の方が信じやすいですよね。
当然、「背後からの一突き」という考え方は、ナチスのユダヤ人虐殺につながっていきます。

WWⅠや戦間期のドイツの事を知るには、例えば、下のリンクを見ると良いと思います。
【ゆっくり解説】ハインリヒ・ヒムラー
https://www.youtube.com/watch?v=dkCvyNUkFYg
その他にも、色んなドイツ軍やナチス関連の人の伝記を動画にしているので、それを見ると、当時のドイツの状況や当時の人の考え方などもなんとなくわかると思います。私も、この動画群を見て、だいぶ、WWⅠ~WWⅡのドイツについて勉強になりました。

技術革新 総力戦
海猫

教えていただきありがとうございます。
要するに、国民の批判をそらすためのプロパガンダ的なものなんですね。しかしまぁ、気になって調べてみるとユダヤ人もユダヤ人で色々経済的に暗躍していたようですが。「背後からの一突き」も、ただの責任転嫁である事に変わりはありませんが、あながち間違ってないのかもしれませんね。
自分は、ドイツがWWⅠで負けたのは、結局は国力が戦争に追いつけなくなったから、というのと、兵站を軽視してしまったからではないか、と考えています。前線に砲弾が1日に数発しか届かない様なズタボロの補給線で戦争を続けるなど無茶ですし、ましてや大攻勢なんて不可能に近い事ですから、負けたのは兵站が原因、と言ってもおかしくはないと思います。
ところで、私の友人が前に、地理的にも経済的にも四面楚歌をやってのけたドイツが負けたのは当然だから、なんで負けたのかよりも、どうしたらドイツは負けなかったのか、を議論した方が建設的だ。と言っていました。そんなにWWⅠはドイツに取とって勝ち目の無い戦争だったんですかね。

ひふみ

〉気になって調べてみるとユダヤ人もユダヤ人で色々経済的に暗躍していたようですが。
おそらく、そんな要素もあるだろうとは思っていますが、何分、WWⅡのイメージがあるので、中々そんな意見が出にくいですよね。
あと、ユダヤ人って民族では無く、ユダヤ教を信じる人という意味なので、二種類のユダヤ人がいます。
①中東から追い出され、ヨーロッパの国を流転して根付いたユダヤ人と、②東欧で国教をユダヤ教にして、後天的にユダヤ人になった人。
これが、ややこしい。

あと、金融業で財をなし国家に影響を与える多国籍企業化したロスチャイルドみたいなユダヤ人と、普通ののユダヤ人。
で、ナチスに虐殺されたのは、後者なんですよね。前者は、そもそも、アメリカなど、ドイツに在住していないはずですからね。

ドイツはWWⅠまでは、鉄道を使って素早く進軍したり、補給線も参謀本部が入念に運用していたはずです。
兵站の軽視というより、総力戦という新しい戦争形態には、地政学的に不利だっただけだと個人的には考えています。
総力戦と言う概念が、WWⅠもしくは、WW0と言われる日露戦争当たりからの戦争の形態なので、その戦訓(事例研究)ができていれば、ドイツ軍はそのような戦争をしなかったと思います。
そもそも、欧米が世界中で植民地にできる未開地の地が無くなった初の戦争であり、敵の敵は味方理論で、結果、世界を2分する2陣営の戦争になった。
そもそも、日露戦争の時、ドイツは、3B政策の関係で、英露が極東の植民地争奪をしてくれた方が良かったので、ロシアに極東進出を促している。でも、日露戦争で、日英同盟の日本が勝ったので、ロシアは極東進出を諦め、イギリスよりになった。そうなると、中東で、ドイツの3B政策とイギリスの3C政策がぶつかる。互いに、互いの植民地政策を認めるように仲間を作って行くので、ドイツ対イギリスの構図になっていった。
二国間の戦争では、物資の調達は、第三国からできるので、単純に精強な軍隊と優秀な作戦立案ができる国が勝てたので、結果、WWⅠまでは、ドイツは負けなしだった。ビスマルクという、戦争指導をする優秀な政治家もドイツにはいましたからね。

欧米の植民地獲得政策→WW0(日露戦争)→WWⅠの流れだから、ドイツが負けないようにいくら工夫しても、3B政策と3C政策がある限り、いずれ激突する。
アフリカで、イギリスが縦断(3C)政策をし、フランスがアフリカ横断政策をしたとき、イギリスは主導権争いに勝利しました。ま、フランスもある程度植民地を持っていたので、それほど敵対しなかったですけど、植民地獲得戦の後発のドイツは、3B政策を諦める事はできないでしょうから、WWⅠの回避は難しかったと思います。サラエボ事件は、3B政策の戦場の出来事ですし、高度に政治的判断をして、無視することはできないと思います。

歴史のifを考えるのは、歴史の勉強にはなりますので、どんどん考えて議論することは大切だと思っています。
しかし、歴史にifは無いのです。どれも、必然の連続なのです。

手前味噌ですが、WWⅠとWWⅡ関連の過去の私のQ&Aのリンクをはっておきます。
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1197794
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1308528
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1230053
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1198835
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1200244
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1201681
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1235096

ユダヤ人が、国際金融業をしており、資本主義を操っているという考え方が、根強くあります。
その事が本当かどうかは、ホント誰もよくわからない。
しかし、民主主義は方便で、結局世界を動かしているのは、資本主義=国際金融家という見方を完全に否定できないのも、事実です。
アメリカ大統領選は、お金がかかりすぎますし、大統領自体、国際金融家の使いっ走りだという意見もありますからね。

ひふみ

誤字修正
×サラエボ事件は、3B政策の戦場の出来事
○サラエボ事件は、3B政策の線上の出来事

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回答

もう少し具体的にどの部分を言っているのかヒントになる文脈とかありましたら教えてください。

海猫

ルーデンドルフがその著者「総力戦」の中で、背後からの一突きで負けた〜という旨の発言をしていました。

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